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○以下家康ノ部下別軍諸士ノコトニカヽル、, て走お、將吉これを追て、其首を奪ひとり、御感をかうふる、, 牧に至りて、大權現にゑつしたてまつる、時に大權現、氏次に命して岩崎に, はりて、忠戰をはけまし、御感にあつかりたきよしののそみ申とれは、大權, かへり、彼地をかたむへきの上意くたるといへとも、氏次こ告ゑて申けな, は、だこかし當地の案内よくあんするの間、〓かはくは先かけをうけ〓ま, へりて城をきつく、其後大權現小牧に陣をはり給ふよしをうけ給、氏次小, り、三州要害の地に城廓をがまふへきの命をかうぬり、すなはち岩崎にか, になりて、大權現は信雄にくみし給ふ、時に大權現、氏次に命して岩崎に歸, 同十二年、秀吉と信雄不和, 〔寛永諸家系圖傳〕十三丹羽氏次, けたははりて、彼城におもむくのところ、すてに落城し、敵兵氏重か首を提, 岩崎乃城にありて、池田勝入信輝か大軍に圍まなゝ乃とき、將吉御使をう, 現これをゆるしたまひ、舍弟次郎三郎氏重に岩崎の城をまもらしめ、氏次, 男、, 中大長二一年四月、長久手乃役に、丹羽勘助氏次、其弟次郎三郎氏重、尾張國, ○下略、寛永諸家, 系圖傳春田將吉, 傳記事ナシ、譜牒餘録後編, 春田猪之助書上異事ナシ, 勘助、, 略, 居城同前, 尾川岩崎), ○中, 氏次岩崎, ニ城塞ヲ, 丹羽氏次, 別軍諸士, 築ク, 家康部下, ヲシテ岩, 崎ヲ守ラ, 家康氏重, 天正十二年四月九日, 六三二
割注
- ○下略、寛永諸家
- 系圖傳春田將吉
- 傳記事ナシ、譜牒餘録後編
- 春田猪之助書上異事ナシ
- 勘助、
- 略
- 居城同前
- 尾川岩崎)
- ○中
頭注
- 氏次岩崎
- ニ城塞ヲ
- 丹羽氏次
- 別軍諸士
- 築ク
- 家康部下
- ヲシテ岩
- 崎ヲ守ラ
- 家康氏重
柱
- 天正十二年四月九日
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- 六三二
注記 (36)
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