『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.801

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長久手邊可然との御積り也、其上上方人數へ御おしつめこても、先手へ, と兵部少輔勢と合而、五千の人數を以御向ひ被成ならは、手立に不及御, 須賀五郎左衞門五百騎、扨土井豐後父子、水野惣兵衞父子ニ、丹羽勘介を, 利有共、大手はいきほい強もの成間、ことう〓, ほと遠く候へは、無御心元思召也、小牧邊こては秀吉の後詰〓るへき間, め被成、岡崎近にての御合戰ニては、思召まゝに可爲御勝利候へ共、小牧, 案内者として被遣、右之御先手と四里程御跡ゟ、御旗本三千ニて御出陣, は上方人數, 也、御籏本の御先勢井伊兵部二千にて押ス、此御積りは上方勢は大手を, 道のほとらいを煙を以御考被成、小牧を御出陣也、御先手は榊原式部太, は八九里も歸り候へは、だれゟ跡へ取て返すとても、長途を往來し〓人, 輔手勢二百騎計ニ、穴山衆百五十騎、岡部内膳衆百廿騎計御差添被成、大, 利を得〓し、就夫御先手を追而長路を可來、其亂立て來る人數へ、御旗本, 一のむ間、二千三千を一手につくり可懸、然共御先手何も小勢成間、一息, 數つれ〓き間、大軍と云共御勝利たるへきとの儀こて、上方勢の行過候, 田有之、註進被爲聞、御合戰場乃御かんかへを被出候に、緩々と御おしつ, 天正十二年四月九日, ○紀伊國物語一, ハ、後途トアリ、, 家康ノ先, 鋒, 進出ヲ聞, キ作戰ヲ, 練ル, 家康敵ノ, 八〇一

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  • ○紀伊國物語一
  • ハ、後途トアリ、

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  • 家康ノ先
  • 進出ヲ聞
  • キ作戰ヲ
  • 練ル
  • 家康敵ノ

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  • 八〇一

注記 (26)

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