『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.857

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の輪の紋永樂錢也、, 動す、秀次見給ひて、是ほとかくし打立たる事なれは、小牧の家康聞〓きに, も非す、又小畑の城はかりに是程人數有へきにもあらす、とかくたゝ事に, に不及、見崩に崩れけれは、秀次旗本危く見ゆる、大須賀、榊原等押立〳〵懸, 第〳〵に馳加る、秀次方には村善右衞門、白井權太夫、岡本彦三郎、木下助左, 衞門、同勘解由、穗富與八郎出張し、弓鐵炮にて打立防戰とい〓とも、家康方, 將坂部三十郎、久世三四郎、足輕を左右に立、鐵炮を打せける、筧助太夫等次, の軍兵ことゝもせに眞黒に懸り來る故、秀次の前備田中久兵衞長正は、戰, と候、御覺悟被成候得といふ、小畑村より續て四備五備出來り、初の二備と, 扨は家康人數なりと騷、, てはあらし、備を立直せと下知せらる、然る所に、大須賀五郎左衞門足輕大, り、せこなみを立るやうに、地足なりにひらかゝりに懸り來り、秀次の後陣, 續て押來りしと見るか内に、跡も先も俄に一つに成、手先十町計にひろこ, 小荷駄人夫を追散しける、近付に隨て、小畑より出たる勢の旗をみれは、車, に、穗富山城守申けるは、只今小畑村より出て來り候備は、事を待たる勢に, もふそと問給ふ内に、又一備出來る、其間一里計有之故、遠見したる計なる, ニハ、車ニ永樂九曜ノ旗トアリ, ○池田氏家譜集成所收池水記, 小荷駄人, 久世廣宣, 田中吉政, 坂部廣勝, 夫, 天正十二年四月九日, 八五七

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  • ニハ、車ニ永樂九曜ノ旗トアリ
  • ○池田氏家譜集成所收池水記

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  • 小荷駄人
  • 久世廣宣
  • 田中吉政
  • 坂部廣勝

  • 天正十二年四月九日

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  • 八五七

注記 (25)

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