『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.868

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は、平松自害すとなり、, 秀次より一万石にて招かる故、明將の武功を賞する方へ參なり、各も立, りし方へ、暗將の下に居れは、武功有に厚祿を與る事をしらす、今度某に, 衞門に命じて追懸て〓さしむ、平松、坂邊を斬て退所に、服部半藏掛川の, き所に、甲州先方廣瀬郷左衞門申けるは、我古主武田信玄大合戰勝利得て, さゝる勇を出せり、人能有不能あり、我喧唯には寔に憶し、敵と合時は今, より勝れたりといふ、其後平松祿少なき故、不平の念有所に、秀次より一, 万石にて招かる、出奔して秀次に仕へんと立退ける所に、常に心易く語, 家康卿被討取首數一万三千五百餘なりとそ、家康卿既に首實檢し給ふへ, は、必引揚、能場所或は味方の城へ取入、二の目を打れさるを第一と仕と言、, 城番に代る道にて、是を聞、組の鐵炮をつれて追懸、平松か旅宿を圍けれ, 政か中川瀬兵衞を打取て威を振ふといへとも、引取事延引して、柳り瀬乃, 退く參られ候へと、觸状を廻して退にけり、家康卿是を聞給ひ、坂邊權右, 同國の士三科傳右衞門申、遠からす去年六月江北城前の堺にて、佐久間森, 敗軍と此度なりと言上しきれは、家康卿軍勢を小畑へ雲のことく揚給ふ, 天正十二年四月九日, 廣瀬景房, 三科形幸, 郎ヲ招ク, 秀次金次, 天正十二年四月九日, 八六八

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  • 廣瀬景房
  • 三科形幸
  • 郎ヲ招ク
  • 秀次金次

  • 天正十二年四月九日

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  • 八六八

注記 (22)

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