『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.255

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らふ事數度なり、爰に七・八騎したひけるに、成瀬吉右衞門かへしあふて、一騎〓き落す、, かすまじきかとの給ひけれは、忠藏馬より飛び下り、新十郎にかし、分捕りの馬なり、かへ, 兵右衞門・小栗忠藏・嶋田治兵衞等歩立にて家康公に屬す、敵したへば、取て返し、追ひ拂, さるべしといふて、濱松へ歸城の後、取りかへしけるとなり、爰に誰とはしらず、味方の中, 家康公御馬をかへし給ひ、成瀬に其首取れとの給ふ、勢に恐れて、したふ敵引きかへしけ, へ共、藤藏大勇の兵ゆへ、かの者よく取り付かセ退けり、水野太郎作は、敵ちか付けば、取, 菅沼藤藏が尻馬に乘り、取り付て退く者あり、家康公是を見給ひ、藤藏其者付き落セとの給, 公御覽あつて、其馬新十郎にかセよとの給ふを、忠藏聞かずして通りけるを、重ねて其馬, 衞は馬上、其外は下り立居けるゆへ、馬放れ、歩立ちなり、大久保新十郎忠隣は御寵愛の御, て返し、追ひ拂らふ、太郎作危く見へける時は、家康公かへし給ふ、成瀬吉左衞門・日下部, したわすじて引かへす、夫より御家人等おひ〳〵はセ付て屬從す、菅沼藤藏・三宅彌次兵, り、成瀬は御馬に追付ゆへ、首を取らず引退く、成瀬は〓き落すを手柄と思ふにとて、後, 小姓なりけるが、馬はなして歩立なり、時に小栗忠藏はなれ馬を取て乘り退けるを、家康, と、諸人是を感ず、此間, 山懸は勝藏にさゝへられ、家康公は遠く引退かセ給へは、, 多し、, 口傳, 元龜三年十二月二十二日, 二五五

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  • 多し、
  • 口傳

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 二五五

注記 (19)

  • 563,625,75,2256らふ事數度なり、爰に七・八騎したひけるに、成瀬吉右衞門かへしあふて、一騎〓き落す、
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