『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.870

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吉と小川を隔て打すれ立、道々せりかけなから、〓早龍泉寺へ十町餘に成, れは、必定討死し給ひなん、長久手へ行御死骸を枕にすへしとて、小牧山を, 被成とて、手勢五百餘にて、秀吉の大軍へ弓を討懸、鐵炮を打、物見足輕をか, 平八郎爰にて秀吉へ合戰をすり懸、遂一戰討死する程ならは、餘程手間入, て、平八郎川端へ乘下し、馬の口洗を、秀吉卿見給ひ、只今馬の口洗せける武, 〓し、左あらんにおゐては、秀吉軍勢滯り、長久手の合戰を家康卿心靜に可, け豈り、一番に三塚九兵衞、梶次郎兵衞、牧惣次郎、二番に平八郎自身并松本, 同心なかりしかは、左衞門も平八郎も白あわかみて怒けれとも、伯耆守同, けれ共、秀吉卿は一刻もはやく長久手へと、平八郎に取合なし、平八郎も秀, 心せされはるみぬ、そこにて平八郎思ひけるは、家康卿小勢にて御出馬な, 勘左衞門、匂坂甚五右衞門、小野田與四郎、只七騎にて、足輕を〓れて出挑か, 者、鹿の角乃立物の甲著たるは大將と見へたり、さても勇士かな、家康能者, を持たり、誰か見知たると尋給へは、稻葉伊豫守、先年姉川にて武者出立見, 出、もみにもんて急きける、小川を〓たて、秀吉卿の籏本と同し樣に馳ける、, 覺候、家康内本多平八郎と申士大將にて候と申、秀吉卿感〓を流して、人數, ヲ率制セ, 忠勝秀吉, ントス, 秀吉忠勝, 嘆稱ス, ノ武勇ヲ, 天正十二年四月九日, 八七〇

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  • ヲ率制セ
  • 忠勝秀吉
  • ントス
  • 秀吉忠勝
  • 嘆稱ス
  • ノ武勇ヲ

  • 天正十二年四月九日

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  • 八七〇

注記 (23)

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