『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.171

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とみへ告り、追付へしといそかせたまへは、茶臼山まは麓に、勝家馬しるしみ, 給ふ時秀吉に組せし者也、いて〳〵目に物見さんといふまゝに、長刀四方, つめ、敵合四五間成たるに、眞黒になりて、一度に瞳と〓かゝまは、木下か人, 數なしかはたまるへき、四方へはつと北にける、木下蹈留る所を、庄介長刀, 共、敵といへは力髮し、其方は江南佐々木か普代の家人なりしに、佐々木を, にて膝まは皿より高股かけてなきすゆる、半右衞門深手なれは、其まゝそこ, 鑓を打ふり、すゝみにすゝんて六七拾にてつきかゝる、庄介しつほと持し, 〓しと被仰けり、さるほとに勝家は、立退時剋もなかりけるか、はや退ける, は小川にてはなきか、汝かやうなる士けかしに、我むかふへきにあらされ, 勝家を組討し高名さんとあらそひけるに、木下半右衞門眞先へ打けとは、, 見放、信長公に付奉れ、信長を惟任光秀奉討時惟任に組し、惟任を秀吉亡し, へたりけれは、爰に備へたり、卒爾に懸なと下知したまふ、秀吉まは軍兵共、我, に伏けるを、庄介首をもかゝすして引取、人數を立にけり、次に小川左平次、, 半右衞門を助來て〓かゝるを、庄介是をみて、やあ〳〵是へ見ゆる, るは、堀久太郎か者にて御座候と申上けれは、公、久太郎に申付、目を懸さす, 申候歟, 土佐を, 小川左平, 衞門尉, 木下半右, 次, 天正十一年四月二十一日, 一七一

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  • 申候歟
  • 土佐を

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  • 小川左平
  • 衞門尉
  • 木下半右

  • 天正十一年四月二十一日

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  • 一七一

注記 (23)

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