『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.467

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次か使千賀新左衞門といふもの來て、申事吉田か〓し、重政猶もきかす、千, 賀重ていはく、ひつきやう小せいを以て、大こうをたてん事かたかるへし、, 出して大野城をせむ、重政兵すくなし、故に状を清洲、長島、萱生、駒尾に出し, 政にくみす、奧山は正勝、重政か一門なり、其後前田兄弟、九鬼、瀧川か人數を, くにけさま、すてにして井伊掃部、松葉の宿より海雲寺邊に、竊に小船にの, に歸る、此時常眞の家來奧山治右衞門妻子をつれ、蟹江とり大野へ來り、重, とかせいをこう、其間かたをの兵を時のこゑをあけて、かこみをせむる事, 甚急まり、又てたの船十そう海上より大野川にうかむて、城下に至る、長次, り、さくの木を切やふり、瀧川こうせんゟい前に、下市場をにけける、常眞は, 郎重政しきりにたひまつをなけて、其船二そうをやく、船の兵ともたへか, たくしと、皆堤の上にのほる、城兵すゝむて是をうつ、其外之船とも〓〳〵, かをんをほふせん、いかてかむにんに組さんやと云ふ、したかはす、又與平, すとやかに是におふして然る〓からん、重政大にいかつて、手つから鐵炮, を打、鐵炮千賀か馬にあたりたをれおちぬ、千賀かちとちになりと、下市場, ころされ給ふも、なんは我をうらみ給はんや、我とゝ此城に自害して、正勝, 奧山治右, ヨリ來リ, テ重政ニ, 衞門蟹江, 與ス, 天正十二年六月十六日, 四六七

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  • 奧山治右
  • ヨリ來リ
  • テ重政ニ
  • 衞門蟹江
  • 與ス

  • 天正十二年六月十六日

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  • 四六七

注記 (22)

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