『大日本史料』 11編 7 天正12年4月 p.784

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君恩を拜し奉りと退きける、, あおと感さぬものはなありけお、義雄此由聞し召されと、天晴なる兩人, と、首五ツツヽ差出せは、諸士一同に手を拍て、あら恐ろし文兩人か働き, て一笑し、鹿沼をはして立歸り、此次第を一々言上し、是は土産に差上候, 御家來御暫〳〵の首五ツ慥に請取と呼はゝりけれは、佐竹方二度の〓, 事もなく、徒に日數を打過、八月十八日とそ成にける、又大平山の上より、, の働比類なしとて、兩人へ感状を給はりける、又一兩日を過ふ、加増百石, 朝より夕暮過まて、霧たへすして見支あたはす、いかなる故とも更に不, に恐れつゝ、跡をも見すして迯歸る、黒河、本間兩人は、組子諸共に寄集り, つゝ被下て、猶又御近習役に仰付られけれは、兩人ともに面目身に餘り、, 一斯て小田原勢は思ひの外長陣に成り、足輕せり合度〳〵成とも、花々敷, 皆河の城中要害の樣子を見る心いたづに日を暮とも、夜は霧晴れてだ、, 某しも壬生家の家來黒河左衞門と申ものなり、茶店の代りに、義宣公の, 思議も晴れさりけり、又夜月の光りに見渡さは、重々たる嶮山と見へ、城, 朝倉能登守、佐山信濃守勇戰の事, 天正十二年七月十五日, 七八四

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  • 七八四

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