『大日本史料』 11編 9 天正12年9月 p.54

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人ほめ申候由、物語共有之、, ても利家樣被仰出候事、, りたる人數こ候間、敵三万とはむかふヘシと御意と候へは、御兩人御尤〳〵と御かんし被, 陳取つほい山へ也、そこにて村井豐後乘向、利家樣へつほい山へ仕かけ一合戰と可仕由申, 上候へは、内藏介もさすか之ものと候間、陳所よく見とゝけ居可申候間、末森へ懸レト御, 一川尻にて利家樣御馬をのり廻、御らん被成、御人數二千五百ほとならてはつゝいて不參, 出馬被成、町口にて殊外御いかり候へは、大塩大海と申御弓衆弓を雲ばりと仕候事、後ま, 候、もはや合戰勝候とおほしめし候由、後まて御物語被成候、其ゆへは、有時淺野左京殿, 津波田を御出之時は、御あわて候て、利長樣御馬驗ハ横山三郎持て、町口まて被出候を、皆, 成候事、, 一末森大手右之ことく先手大將共かけ向、はや豐後内間野新丞、吉川平太、江見藤十郎、小林, 加藤主計殿其時之儀御とい候へは、夜中之人數これまて付したかいたる人數なれは、死き, 意と候、重而豐後申上は、本陳へ懸り候はゝ、内藏介を打事可有御座候と申上候へは、利家, 彌六左衞門、大くほ小々郎、屋後太右衞門なと首ヲ取來る、其時道二すし有、一筋は内藏介, 一つはたにていつれも弓斷候故、弓衆なともつるヲはつし有之時、右之仕合、俄こ利家樣御, 末森近クにて利家公御ゑいか、, 天正十二年九月十一日, ○利家語話、, 以下ナシ, 利家末森, 山ニ陣ス, ニ向フ, 成政坪井, 川尻ニテ, フモノ一, 千五百人, 利家ニ隨, 五四

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  • ○利家語話、
  • 以下ナシ

頭注

  • 利家末森
  • 山ニ陣ス
  • ニ向フ
  • 成政坪井
  • 川尻ニテ
  • フモノ一
  • 千五百人
  • 利家ニ隨

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  • 五四

注記 (28)

  • 1684,658,57,666人ほめ申候由、物語共有之、
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