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は、濱手へ廻り、轡のならさるやうに枚をふくませ馳行に、をし明かたの雲山の端に横へ、お, せ、をし給へと諫る人も多し、又内藏助多勢を以幾重共なく取卷、我旗本の勢は、金澤より, 度思ふ所なれは、我をとらしと乘出したるいきほひは、寔に天魔破旬も向ふへくも見えさり, の助之勢を防かんとて、末森より一里計罷出、金澤の方に向て陣を固め待居たり、たゝ是よ, ほつかなき比なるに、末森の城の東方に著陣せしとひとしく、人數を且々立、佐々新右衞門, 衞門を助けんより外はなしと、重て被申出し處に、徳山五兵衞尉進出申けるは、義之向ふ, し、其上金澤にをひて一合戰の勝負を頼み、時刻うつる其内に、居まけになる事出來る物そ, き、與かしら等も猪武者にくみし、いのちをすつる事今に始めさるそと云つゝ、ひし〳〵と, 所をするは士之格也、是を義士といへり、仰之趣可然覺え奉る、とく〳〵急せ給へ、徳山に, 備を設け、段々にをしたり、是よりして、猶汗馬をはやめゆくに、佐々か陣の備も近つきけれ, かし、殊にすへき軍をせすし、よはき心あれは、軍神も見すて給ふと也、唯後卷を遂、助右, をひては御供申さんと、馬を乘出したるは、こゝちよく見えてけり、若き人々は内々進み, り引返し、金澤にをゐて一合戰有て、勝負を決せられん事可然候はんと、衆口同音に諫め留, しもたれかれなり、去共利家父子仰けるは、とかく奧村を見〓しなは、生涯之不覺たるへ, 老の人々をよひあつめ、軍評議有けるか、唯是にて末森へ早馬をつかはされ、一左右を聞合, 天正十二年九月十一日, 七三
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- 天正十二年九月十一日
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- 七三
注記 (17)
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- 1784,581,68,2270せ、をし給へと諫る人も多し、又内藏助多勢を以幾重共なく取卷、我旗本の勢は、金澤より
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