『大日本史料』 11編 10 天正12年10月 p.410

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めて多數の人々參集し、王は更に廣大なる聖堂を建築せざりしことを遺憾とせし程なり, し、最初の日本人イルマンなり、八四年七月十日, を造ることとせり、國王の新築せし聖堂はかなり廣きものなりしが、枝の日曜日には極, 大身等を動かさんとして、修練所の長なるパードレとイルマン等をして同所にて聖柩を, 造らしむることとし、國王は敬虔の念より、自ら日本人が特に信心する聖土曜日の聖盤, 聖週の勤行を能ふ限り良く行はんと努力することは、總ての地方に通じたることなるを, 告すべし、臼杵は世子がその宮廷と共に居る所なれば、フランシスコ王は、世子と國の, の熱意と信仰とを一〓明にせん爲め、當八四年に同所にて行はれし所を少しく貴師に報, 以て、特に臼杵に於て行はれし所をこゝに詳述する要なし、されど、フランシスコ王, き、前日の土曜日には、臼杵より二レグワの津久見より夫人及び娘達を招きて聖週の間, の命令に依り、都よりパードレ・ジョアン・フランシスコ及び日本人イルマン・パウロ, 等に助けられ、彼等の間にありて靜かにその魂を捧げしなり、彼は當地方區にて死亡せ, 以てなり、, 來れり、フランシスコ王がこのイルマンを彼の居所に近き聖堂に招くことを希望せしを, のことなりき、副地方長, 月三日ニ當ル、, ○天正十二年六, ニ赴ク, 臼杵ニ於ル, 都ヨリ豐後, んしすこ京, ぱーどれじ, 臼杵ノ聖堂, よあんふら, 聖週ノ諸式, 聖週ノ行事, 天正十二年是歳, 四一〇

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  • 月三日ニ當ル、
  • ○天正十二年六

頭注

  • ニ赴ク
  • 臼杵ニ於ル
  • 都ヨリ豐後
  • んしすこ京
  • ぱーどれじ
  • 臼杵ノ聖堂
  • よあんふら
  • 聖週ノ諸式
  • 聖週ノ行事

  • 天正十二年是歳

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  • 四一〇

注記 (28)

  • 380,630,67,2240めて多數の人々參集し、王は更に廣大なる聖堂を建築せざりしことを遺憾とせし程なり
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  • 727,624,65,2239大身等を動かさんとして、修練所の長なるパードレとイルマン等をして同所にて聖柩を
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