『大日本史料』 11編 14 天正13年3月 p.330

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峰の巽の方に山の足を引きたるを潮見峠といふ、潮見より西の方十八町に捻木嶺あり、, る事あたはすといふはケ樣の地をいふなるへし、天正十三年、豐太閤南征の時、大軍此, 越後守押寄せしに、小野澤の土民等こゝにて相障へ、杉若勢を追ひ退けし地と云ふ、, りしも宜なり、此地を潮見嶺といふは、本宮の方より來るもの、此地に至りて始めて滄, 海を望むを以て潮見峰の名あるなり、峠より巽の方麓芝村まて一里、, 山の高峰の峻拔するを視るへく、俯しては萬仭の溪壑に臨めり、一夫關に當れは萬夫過, 村中にあり、寺内に古墓三基あり、, 〔紀伊續風土記〕, 栗栖川・岩田・三栖・秋津の四莊の堺にありて高き二里許、〓り十里に餘るといふ、山, 捻木より潮見に至るまて、槇山の半腹に一線路を開きて中邊地の街道とす、仰きては槇, 地に至りしに、湯川・山木二氏此地に據りて敵兵を遮りしかは、豐公の兵進む事を得さ, 槇山潮見峠, 〔紀伊續風土記〕, 觀音寺月海山禪宗臨濟派東福寺末, 天正十三酉七月, 觀音寺但馬, 栗栖川莊, 七十三牟婁郡五, 四番莊近露村, 七十五牟婁郡七, 七十三, 四番莊, 七十五, 戰歿者ノ碑, 潮見峠, 天正十三年三月二十五日, 三三〇

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  • 栗栖川莊
  • 七十三牟婁郡五
  • 四番莊近露村
  • 七十五牟婁郡七
  • 七十三
  • 四番莊
  • 七十五

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  • 戰歿者ノ碑
  • 潮見峠

  • 天正十三年三月二十五日

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  • 三三〇

注記 (27)

  • 1371,665,71,2205峰の巽の方に山の足を引きたるを潮見峠といふ、潮見より西の方十八町に捻木嶺あり、
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