『大日本史料』 11編 17 天正13年7月 p.92

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や當りけん、侍冥加つきて、則の内にてきたなき百姓に殺されけるを、其首を取よせ、, へりて武勇のよはきに似たり、尋常に只今一いくさして、それを弔合戰にいたすへきと, しからむ物をと、猶あなしみのなみたうちしきりおつる故に、むらさき野にて御葬をつ, 去る二日に失ひたてまつりし本能寺のやけ跡に梟にかけ、我憤をは散し侍れども、おな, 捨て、さいごの合戰いたさんをおそろしくや侍けん、左右なく人質を出し候ひしほとに、, の冥加にや、おもはすに貴き身には成ぬれとも、父なけれは氏性なし、草ありの成のほ, 申つかはセは、毛利家にもさすがあはれとやおもはれけん、また秀吉か主君の爲に身を, とめ、太政大臣の御位を送り、大徳寺に一宇を建立し總見院殿と崇め奉る、いまかやう, に山崎おもてよりつきくづし、雜兵までのこらずうちはたし侍りぬ、惟任は主君の御罰, しくは生てまします時、あほとなる忠功をいたし悦はせ奉らは、いかはかりわれもうれ, 召、五攝家ともにいつれも今甲乙はなけれとも、氏の長者とさゝるゝ事は當家にきはま, 其まゝ上洛し、につくき惟任が蜂ほこりにほこり、青龍寺まで出張せしを、六月十三日, 申されしかは、いとやすき事なりとて、近衞殿よりの其御はからひ有ける時、玖山公聞, りたる身なれは、いにしへのかまこの大臣の御なをよすがにて、藤原氏をや望み見んと, ヲ大徳寺ニ, 信長ノ葬禮, ランコトヲ, ヲ討ツ, 山崎ニ光秀, 藤原氏トナ, 望ふ, 家ノ爭論, 營ム, 九條近衞兩, 天正十三年七月十一曰, 九二

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  • ヲ大徳寺ニ
  • 信長ノ葬禮
  • ランコトヲ
  • ヲ討ツ
  • 山崎ニ光秀
  • 藤原氏トナ
  • 望ふ
  • 家ノ爭論
  • 營ム
  • 九條近衞兩

  • 天正十三年七月十一曰

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  • 九二

注記 (26)

  • 1191,676,59,2215や當りけん、侍冥加つきて、則の内にてきたなき百姓に殺されけるを、其首を取よせ、
  • 1800,675,57,2239へりて武勇のよはきに似たり、尋常に只今一いくさして、それを弔合戰にいたすへきと
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