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りに知行なされけり、去程に肥後の中はのこる物こそなかりける、, 良新次郎久次、, 之脇ニ有之、法名一然紹公居士、天正十三年乙西八月, 阿蘇古老日記曰、乙酉閏八月十三四五日之間、自薩摩攻入、皆々落去、, し給ふことか、みふねちきやうの折ふしあらはれて、此ことかとかになり、かうしもは, くそくし給ふ所なれとも、こゝまては御ても及かたくて、うけとり給はす候を、此みき, 〔新撰事蹟通考〕, や下城して、さつまのことくのき給ふ、わいふも此くまへとの、吉松ちんの折から御や, 參らせ給ふ、ともち・中山すてゝ行、又かうしとの、よし松御ちんの折ふしに、やしん, れよりあそとのもいまたゆうせうにおわし給ふか、はやかうし給ひて、さつまの下にそ, 阿蘇惟前居甲佐城、前蒙島津家之恩惠故、蚤, 〓八月、島津義久在八代、忠平爲將領數千衆征阿蘇、十三日辛亥、攻甲佐・堅志田拔之、, 平田新四郎被創、〓良新次郎死之、, 薩州舊傳書曰、〓良新次郎ハ於肥後國堅志田被致戰死候、右之墓南林寺大中様御靈屋, 降屬忠平、, 十三日、行年十八歳、〓, 十一編年考徴九, 家傳, ○肥後文獻叢書三所收, 世録記, 騰寫恐悦, 譜、, 阿蘇系, 閏子, 間子、, 始良新次郎, ノ墓所, 天正十三年閏八月十五日, 二七五
割注
- 十一編年考徴九
- 家傳
- ○肥後文獻叢書三所收
- 世録記
- 騰寫恐悦
- 譜、
- 阿蘇系
- 閏子
- 間子、
頭注
- 始良新次郎
- ノ墓所
柱
- 天正十三年閏八月十五日
ノンブル
- 二七五
注記 (29)
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