『大日本史料』 12編 9 慶長十六年十一月~同十七年七月 p.576

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わつらひ給ふ、, にをよふへきむね、かたく御ふれの事、, んとのはかりことにきわまれり、それよりして、ふかくにくみおほしめし, し、其ときの所司代いたくら伊賀守かつしげ、しゆ〳〵ウいりやくをめく, めし上せらる所に、さうほうたいけついたし、めいさいに白状仕、國をとら, て、寺〳〵はつかうさられ、しうていのもの共には、此たひころひたらんも, きりしたんがしうてい共、たわらに入らるゝ事, らされけれ共、ちくしやう正ぢきの面つばらなれは、一たび聞入てひるか, せんさく仕といへとも、内心りだかまつて、そらころびするものこれおほ, へす事なし、いのちを露ほともおしまされは、けなからにこしやう計とい, 天正十六年ヨリ、同廿四年ヲ歴テ、, のき、しさいなし、もしあひのこるものこれあらは、すみやかに御せいばい, 右らく中の町人、うら屋、かしや、あがあうしん、へんど、〓んない、こと〳〵く, へは、すりかうたうのさいくわにもおこなはれす、いかゝはせんとあんじ, 〔南蠻寺興廢記〕, 慶長十六年、西國肥後國ニシテ、加藤肥後守清正病死アリケレハ、其節ヲ窺, ○上略秀吉ノトキ、耶蘇, ○下略、大久保忠隣京都ニ赴キ、耶蘇教徒フ〓ス, 〓トニカヽル、十九年正月十六日ノ條ニ收ム, 教制禁ノコトニカヽル, 教○, 板倉勝重, 信徒〓明, ノ耶蘇教, 慶長十七年三月二十一日, 五七六

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  • ○上略秀吉ノトキ、耶蘇
  • ○下略、大久保忠隣京都ニ赴キ、耶蘇教徒フ〓ス
  • 〓トニカヽル、十九年正月十六日ノ條ニ收ム
  • 教制禁ノコトニカヽル
  • 教○

頭注

  • 板倉勝重
  • 信徒〓明
  • ノ耶蘇教

  • 慶長十七年三月二十一日

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  • 五七六

注記 (26)

  • 392,629,54,422わつらひ給ふ、
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