『大日本史料』 11編 19 天正13年閏8月 p.500

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を尾野山表へ被遣物見仕る、此對陣初りて河原へ乘下す、眞田方b廣瀬昔之知人故に、, 一心の覺悟ニ而鹽尻へ働、伊奈を松岡衆・一條衆を添、木曾・小笠原を追崩し、木曾衆, に備、足輕進懸て、如此其を勝に用て、其夜に味方引取、勝間ケ曾利に又砦を取立る、, 鐵炮を止緩々と物見せよと呼る、鐵炮止るに禮之馬之乘樣仕る、廣瀬見定るに、何と御, 三十六人討取、直政公譽也、尾野山表ニ而、初八月十日十八日勝利、敵追崩、其後脇又, 申候、宿老を先に仕候而は如何と、牧野・菅沼先可仕と被申、何之も不落著、左候はゝ, 賀・牧野・菅沼、直政公同勢に松平周防守と定候て、岡部計ニ而河原宿を焼、岡部三所, て合戰すへし、左候はゝ初よりの衆、眞田後ゟ懸りて伐崩給へと評議也、然共直政公を, 市、下丸子古屋敷之而も、味方四千餘の人數被喰止退かね、既に大崩ニ成へきを、又市, 公銘々仕置とて、惣軍を戻して、勝間か曾利の番に海野砦之番手申付ると有て、直政公, 働候とも取合敵に候はすと直政公へ申、直政公衆丸子之川原町を焼候者、定而眞田を下, 遣しては、大將を先衆ニ用る事、家康公之御見限を蒙るへし、左候はゝ五郎左可參と被, 海野平乙も砦四ヲ取立、砦出來て、木曾・松本之小笠原、眞田を援て鹽尻迄出る、直政, 岡部尤ニ候、河原宿へ岡部、上の山へ直政公、自然ニ御越被成候はゝ、岡部胴勢之大須, 天正十三年閏八月二十八日, 直政鹽尻ニ, 笠原ノ勢ヲ, ビ海野平ニ, 原宿ヲ燒ク, 岡部長盛河, 出テ木曾小, 勝間曾利及, 砦ヲ築ク, 破ル, 天正十三年閏八月二十八日, 五〇〇

頭注

  • 直政鹽尻ニ
  • 笠原ノ勢ヲ
  • ビ海野平ニ
  • 原宿ヲ燒ク
  • 岡部長盛河
  • 出テ木曾小
  • 勝間曾利及
  • 砦ヲ築ク
  • 破ル

  • 天正十三年閏八月二十八日

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  • 五〇〇

注記 (26)

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