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ふ、今度利長の軍勞に、秀吉公、越中四郡の内三郡、前田肥前守利長に賜、只一郡佐々, に與へ給ふよしなり、, り、然共何そ返す事の遲かりつるやと問れけれは、山崎承て、速に返し合せんと存候へ, しかとも、道廣して旗印遠し、返したりとも士卒恐るゝ氣有て戰危からん、されは十分, 保ける、秀吉公は能州石動山に登り給ひ、軍勢を分て外山の城を攻させらるゝ、成政と, らるゝとかや、やかて秀吉公の大軍押來り給ふにそ、成政は諸方の砦を除て外山之城を, 返し聲を勵し、君の威を以切勝候と云けれは、利家兵を用ゆる味を知りたる事を稱美せ, 分て引包へき便あらす、御籏本既に近付て、將士色を直したるしほあひをはかり、旗を, ても叶ふへからさるとて、富田左近・津田隼人によりて降參しける間、召連て歸京し給, に引かけてと思ひ目を配る所に、桑田の間通細くして兩方泥深く見へつれは、敵方兵を, 〔寛永諸家系圖傳〕, 秀吉越中國にをひて、佐々内藏助を征伐のとき、光泰又軍功あり、, 忠政, 加藤光泰, 〔森家先代實録〕, 同十三乙酉年、千歳十越前國津幡城主佐々内藏助退治として御出陣被成、是即チ御初, 九十, 五, 森忠政, 加藤光泰, 初陣, 天正十三年八月二十六日, 三一六
割注
- 九十
- 五
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- 森忠政
- 加藤光泰
- 初陣
柱
- 天正十三年八月二十六日
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- 三一六
注記 (23)
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