『大日本史料』 12編 23 元和元年十月~元和二年正月 p.128

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とおなしく曾根の砦を出て樂田をせめ、大垣の城を圍み、二丸をうち破, 〓、十六日、敵將高橋右近元種、秋月長門守種長、相良左兵衞長毎、三の丸に, しく一紙の御書を下さる、乃ち島津義弘樂田に陣して、曾根の砦を攻、こは, 下さる、また織田有樂、藤堂高虎等と共に、點茶をたまふ、元和元年の役に, 外孫主水氏教に分ちあたふ、十九年大坂御陣のとき、仰によりて御先に, れにより光教、水野日向守勝成とともに防きしゝかふ、九月十五日、勝成, す、このときの戰功により、一萬石を加へられ、美濃國大野本巣加茂安八, 四郡の内にをいて、都て三萬石を領し、揖斐城に居す、乃ち五千石の地を, 兵衞某を城中ににかはす、こはれにより福原城を去て、伊勢國淺熊に退去, 馳登り、松平下總守忠明か手に屬し、天王寺口にむかふ、このとき御料乃, 光教箭文を射く和議をすゝむ、福原諾して人質を乞により、則家臣谷清, 籠りて降を乞といへとも、本丸の守將福原右馬助某堅く守りて降らす、, 勝より言上せしにより、田中吉政一柳直盛、徳永壽昌、池田長吉等とおな, 羽織を恩賜あり、凱旋のゝち、駿府にをい第御鷹をたまひ、且放鷹の地を, は松平忠明に屬し大和口に陣し、五月六日、城兵出て戰ふのとよ、諸軍と, 元和元年十一月十九日, 大阪役ノ, 増セラル, 大垣城ノ, 戰功, 一萬石加, 戰功, 二八

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  • 大阪役ノ
  • 増セラル
  • 大垣城ノ
  • 戰功
  • 一萬石加

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  • 二八

注記 (23)

  • 1387,709,68,2149とおなしく曾根の砦を出て樂田をせめ、大垣の城を圍み、二丸をうち破
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