『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.354

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す、大雪によりておひうつ事あたはず、, ふぢといふ所に陣を取、各城攻の評議して、彼城の向けうき山へ陣をよ, に義隆が近習の臣田子兵庫しきりに陣をちらく張よろしりなへしとい, たし、しばらく陣を遠ざけ、其内種々の調略をせば、勝利を得べしといふ、爰, 深野をうちとり、猶にぐるを追て終にうち死す、翌年正月十三日、晴久敗走, 天文十一年の春、義隆兵をひきひて、雲州尼子が居城富田をせめんとて、う, す、晴賢りへりて尼子が陣へおしよす、時に先手深野平左衞門三千人ばり, りにてせめ上な、尼子が陣にふせぐものなし、下野守諸士をはげまし、進く, ふ、これによりて、義隆進くけう〓きに陣をとる、しありといへども攻落す, 隆が養子某八杉近邊の浦より引のく時、船を沈て溺死す、此時元就はほし, 事かなはずして、日數を送た所に、在々所々より野伏を出し、通路をさへき, 其故は、尼子數國を領じ、弓箭に達する士はなはだ多し、一旦の力攻なりが, すべしといふ、時に元就諫ていはく、ちらく陣を張〓よろしりなべららず、, れば、寄手兵粮とぼしく、遠路のなが陣に疲て、同年五月七日、寄手敗軍す、義, りみ山に陣を取、寄手敗北せざる先に、元就、陶尾張守に告くいはく、寄手の, 元就ノ智, 謀, 元龜二年六月十四日, 三五四

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  • 元就ノ智

  • 元龜二年六月十四日

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  • 三五四

注記 (19)

  • 1408,626,60,1139す、大雪によりておひうつ事あたはず、
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