『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.341

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つ、景勝が士卒死し、きずつくものおほくして、利を失はんとせし故、堀尾山, をかたくまもなへし、爰に敵兵ぬたたひすゝみ出て、しきりに〓炮をはな, 長右衞門はせ來て、敵の鎗をうばひと多、屋代越中守が與力齋藤左内はせ, る、正次はせ歸く、柵を破て諸勢に告くいりく、敵只今出張すへし、味方の陣, 來りて、左一郎がつきぬする所の首をとらんとす、左一郎がいはく、是我つ, 次が郎徒酒井左一郎、柵を隔て敵一人をつきぬす、伊東右馬允か郎徒安西, 其後越中守か長子甚三郎來て其首をとな、左一郎三ケ所の鎗疵をかうぬ, きぬす多所なり、汝これをと多事なかれといつて、正次が前行にしたかふ、, ふして、これを堀の中にすつ、三重の柵を越てく、士卒に命じてせめ入しむ、正, 次がいはく、台聽に達して、後詰の勢をつたんにはしかしといひければ、右, 馬允これに同す、其後釣命に依て、榊原遠江守、本多出雲守、堀尾山城守等、上, 右馬允、かやうの敵ををひちらさで、まもりをなへき所にあらすといふ、正, して、たとひ柵をやぬなといふとも、こゝに人數をたてゝぬみとめかたし、, 廿四日の晨、先鋒と成て柵を隔て鎗をあはす、又柵を越く、兵士一人を切た, 杉景勝と佐竹義宣が兩陣の後詰としてよせ來な、正次これにしたかつて、, ノ勢ヲ得, テ鴫野ノ, 堀尾忠晴, 正次後詰, 景勝ノ軍, 敵ヲ攻ム, 慶長十九年十一月二十六日, 三四一

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  • ノ勢ヲ得
  • テ鴫野ノ
  • 堀尾忠晴
  • 正次後詰
  • 景勝ノ軍
  • 敵ヲ攻ム

  • 慶長十九年十一月二十六日

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  • 三四一

注記 (23)

  • 295,638,58,2216つ、景勝が士卒死し、きずつくものおほくして、利を失はんとせし故、堀尾山
  • 410,629,61,2223をかたくまもなへし、爰に敵兵ぬたたひすゝみ出て、しきりに〓炮をはな
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