『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.370

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動す、, せしに付く、いとまをこひ、雲州に歸く、頓く敵となる、, 内に宗像と懇情の者ありて、たがひに和睦し、豐後勢本國に歸お、, そのゝち長府より高の嶺へ追々に人數をつかはし、又立花の陣をもはや, 雲州高瀬の城た、米原平内が住所なり、平内立花の陣にありしが、雲州騷動, とみたゝかふ、元就が馬廻り木原兵部、同次郎兵衞、黒田次郎四郎、佐東の山, 縣筑前守、隆景が家臣鵜飼新右衞門等槍をあはせ、高名組討これあり、, に著岸す、豐後勢ゑがて宗勝が居城へ取かけて、これをせむるといへども、, 出雲、伯耆、過半勝久にしたかふ、島根の内新山に多賀といふ者在番せしを, かたくふせぎまもりてくざらず、豐後の臼杵某縁者たるによりて、寄手の, 取て、勝久が本城とす、所々を切取ゆへに、石見境にいたるまて、はれはだ騷, く引となによりて、高の嶺の城つよくなりて、城兵しば〳〵うつていて、い, により、いと〓たをまぐ出こたゝかふといへとも、りなはずして城に引入、, 大内太郎左衞門〓前みだま入の時分は、高の嶺小勢にして、不慮に敵來ふ, 大内太郎左衞門を退治せんがために、元春發向し、長府を立て、其日船木山, 元龜二年六月十四日, 退陣ス, 筑前ヨリ, 元龜二年六月十四日, 三七〇

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  • 退陣ス
  • 筑前ヨリ

  • 元龜二年六月十四日

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  • 三七〇

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  • 1239,654,55,139動す、
  • 1011,658,57,1559せしに付く、いとまをこひ、雲州に歸く、頓く敵となる、
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