『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.281

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に評の殘る處、恐れみながら嘆惜するに堪たり、, に云、君を思ふも身を思ふの意なり、去れば駿府に於て御難題の御請は、尤, には、大阪へ歸て讒者の爲に潔く自刄する歟、責ても世を避て高野山へも, 慮り深き善言なり、智に於ては愧る所有べからず、此言眞忠より出たらん, 兩端に計つて世事を要とす、既に關東より御加禄有をも不辭頂戴し、俗諺, 忠の人に非ず、初に佛殿再興の事に就ても、大野が言最善し、片桐は唯事を, 東君の仰せに仍て、寄手に加り出陣せしは、豈忠と云んや, くせざるを以て見る時は、強ち讒とも究がたし、忠臣顏をせし片桐は敵と, 佛殿再興の事より以後の御執計は、などやらん反間の御奸計に似て、後世, 一擧に於て、格別に大野が非義を聞かず、片桐を支へたるも、片桐が終を善, 世に片桐市正を忠臣とし、大野修理を奸臣とす、是一〓の論なり、片桐は眞, 是迄が大阪御陣の大綱なり、委しくは浪速全書に著する故に爰に略す、, はんに、何の難き事や有る、左有んには、武王の紂を撃給ふに比すべきに、大, 登らば容すべし、〓者に一矢射んと、我館に引籠り、而て在所茨木へ立退、剩, 大野は、世説に、淀殿に通じて寵を得たりと云り、實否不知、此評は閣き、此, 但自は固辭して, 陣代を出せりと, 云, 片桐大野, 忠不忠論, 元和元年五月八日, 二八一

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  • 但自は固辭して
  • 陣代を出せりと

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  • 片桐大野
  • 忠不忠論

  • 元和元年五月八日

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  • 二八一

注記 (22)

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