『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.590

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野修理は元と淀殿の御里淺井家の浪士なるが、秀頼公へ召出され、淀殿に, 金銀大坂に充滿して無量なりと世に流布する故に、大御所の思召にて、其, 河泉を領し給ふ秀頼公の御微力には難叶處なり、勿論故君の洪福を以て、, せらる、其旨趣は、大佛殿の事は、故太閤御志願に仍建立有處の大梵刹なり、, せらるゝと云り、仍關東より大坂へ達せらるゝ事は、都て片桐大野へ台命, ん事、異朝の聞えも然るべからず、一つには故太閤の志願を果されざるは、, て奉之、退て評之に、片桐は台意最據なし、此上は歸坂して其趣を言上し、佛, 其嗣として忍びざる所か、須く佛殿再興然るべしとの仰なり、兩人敬伏し, 然る所其後地怪にて傾壞す、さしも異國迄聞えし大厦を崩れし儘にて閣, 有り、抑片桐大野が不和の起りは、駿府へ兩人を召て、大佛殿再興の事を托, 出頭し、次第に立身し、當時片桐に並んで執柄す、一説には、淀殿に通じて寵, には非れ共、聊愚意に落ざる事有り、佛殿再興の事、其費用幾ぞや、是當時攝, 金銀を融通させ、大坂に充る金銀を減し給はんの思召と聞えたり、尤關東, 殿再興の用意に掛るべしと云るを、大野眉を顰て、大御所の仰を違背する, に於ては、さ思召べき事なり、然れ共大坂の金銀、世上に沙汰するとは格別, 殿再興ヲ, 家康大佛, ノ意ヲ疑, ノ不和, 且元治長, 觀ム, 治長家康, 元和元年五月二十八日, 五九〇

頭注

  • 殿再興ヲ
  • 家康大佛
  • ノ意ヲ疑
  • ノ不和
  • 且元治長
  • 觀ム
  • 治長家康

  • 元和元年五月二十八日

ノンブル

  • 五九〇

注記 (24)

  • 1816,607,66,2223野修理は元と淀殿の御里淺井家の浪士なるが、秀頼公へ召出され、淀殿に
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