『大日本史料』 10編 17 天正元年8月 p.342

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るす、, 田畠となして、今は其名のみ存せり、淺井政重か子を新三郎賢政といふ、賢政か子亮, 今に小谷の城京極丸の東谷にあり、, 地を家士の屋敷地とす、其名を撰、淺井の家士片桐孫右衞門と云者、此谷に鷹の巣を, 井記に、大嶽といへる處は、今大築か嶽といふ是なり、天正元癸酉の年八月、織田信, は山田下り方南なり、此間に下野守久政隱居地あり、次乙二の丸、次に本丸あり、淺, なり、天正元年九月朔日自殺す、養源院天英宗清居士と號す、事詳かに人物門に出す、, 淺井家屋敷跡丁野村にあり、是淺井小次郎・同掃部・同大和守等か屋敷跡なり、多, 長、淺井か小谷山の城を攻落す、長政父子自截す、淺井家の事、詳に人物門の下にし, 此村に住す、かれか家に淺井の追手城門の扉今にありと、彼鷹の巣をかけしといふ岩、, 政なり、天文十五年七月十七日死す、亮政か子を下野守久政といふ、其子備前守長政, 小谷山古城巣か谷村の北にあり、是淺井亮政・久政・長政三代の城地なり、京極丸, かくる岩あるを以て、巣か谷と改、片桐孫右衞門は市正か父なりと云、今片桐の末葉, 〔官報〕, 天正元年八月二十七日, 第三〇八五號, 昭和十二年四月十七日, 久政隱居地, 京極丸, 巣か谷, 大手門ノ扉, 淺井家屋敷, 跡, 三四二

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  • 第三〇八五號
  • 昭和十二年四月十七日

頭注

  • 久政隱居地
  • 京極丸
  • 巣か谷
  • 大手門ノ扉
  • 淺井家屋敷

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  • 三四二

注記 (24)

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