『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.365

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とゝかふ、槍を合せて互に手負うち死す、されとも城兵引色になりて退き, 苅田のために兵を遣し、度々相戰ふ故に、手柄のもの多し、, う〓きに陣をとり、石原山、けう〓き山に兩城をこしへ、番ををき、富田の, 初富田より出て降參すなものにし、粮米をあたへ、ふんごろにいたはりし, は隱岐國へ蟄居す、尼子が居城より四五里これたに陣をとり、其所の樣躰, 先年大内が敗軍の山に陣取事は、我吉事なりとよろこびて、城中より出〓, なり、程近くならは、白鹿にはてあてを置、富田の兵と一戰して打亡すだき, 付城とす、元就洗合へ出張し、輝元、元清をも吉田より洗合へま〓きよす、富, 景、元春殿して敵を打がゆへに、付事あたはず、そのゝち又富田表へ出て、け, 田より持たる城々の手つがひしければ、大方なびきしたがふ、毎年富田へ, 入、寄手分捕高名おほし、五六日已後島根へ陣を替る時、敵付送りけるを、隆, を見あはせ、富田の向けうき山へ上まり、元就陣をとる、城の兵これをみく、, 手だてをせし所に、富田の兵引退けば、白鹿いよ〳〵よはくなりて懇望す、, らるがゆへに、その命をたすけ、牛尾太郎左衞門をば、富田へ送り遣し、松田, 兵粮ともし、富田より一萬人ばあり出く、一里の内外をうちめぐる事兩度, 元龜二年六月十四日, 三六五

  • 元龜二年六月十四日

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  • 三六五

注記 (17)

  • 1106,626,59,2192とゝかふ、槍を合せて互に手負うち死す、されとも城兵引色になりて退き
  • 412,622,57,1708苅田のために兵を遣し、度々相戰ふ故に、手柄のもの多し、
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  • 296,621,59,2195初富田より出て降參すなものにし、粮米をあたへ、ふんごろにいたはりし
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  • 1803,635,60,2188なり、程近くならは、白鹿にはてあてを置、富田の兵と一戰して打亡すだき
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