『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.364

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に、中陣大野にて隆元をあひ待所に、死去のよし注進す、元就愁歎甚しとい, て、人數を相催す、時に光源院義輝より使者として、聖護院門跡、毛利家へ下, て、元就、隆景、元春は、雲州尼子を退治せんづため進發す、隆元一人は豐後の, 衞門を遣し、白鹿を堅固にまもる、これによりて元就これをせめんのため, に陣とらしむ、豐後より大勢來りて是をせむ、隆元うの後卷に出張せんと, へども、且はうの弔にせんといひて、白鹿をせむる事九十日あまり、すでに, 取合につゐて、周防の岩國永興寺にたむろし、天野隆重を豐前神田の松山, せんとて、藝州さゝめといふ所にて、八月四日の晩に頓死す、とし四十一、, けまば、宇喜多等を初とし、備中、備前、美作の人々悉旗下に屬す、これにより, 元就赤穴にて越年し、來春大野表へ陣を替、諸方へてだてをすなところに、, 牛尾等を初とし、城をあけて富田へあつまる、此時松田某白鹿に居す、この, もの毛利家へ降參して、今又富田へ屬す、富田より檢使として、牛尾太郎左, ひとゝのほり、豐後の軍勢引退ば、天野隆重もかへり來な、隆元雲州へ發向, 方の旨默止がたく、永祿五年四月、終に和平し、大友が女輝元に嫁し、約束あ, 向あり、久我某は豐後へ下向し、兩方和睦の儀いひをくもるゝによりて、公, 宗麟ト和, 元就大友, ス, 元龜二年六月十四日, 三六四

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  • 宗麟ト和
  • 元就大友

  • 元龜二年六月十四日

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  • 三六四

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