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法名心光院滿譽宗圓と號す、男子四人女子三人あり、, して慈愛深く、正直にして義を守る事剛毅なり、人品人にすくれ善行多し、殊に軍功多, さる、職隆年老て隱居すといへとも、秀吉の出陳の間は城の留守たらしむ、其人となり, 我に養育せしめ給へかしと願ひ申されけれは、秀吉其舊好を忘れざる事を感して其望に, 任せらる、職隆其ために姫路の海邊飾摩津に新しく屋宅を大に作り、小寺の一家を悉招, を知て其寵遇他に異なり、元日の賀禮に旗下の諸士に盃を賜るにも、最初に職隆を召出, 忠信なる故也、其後小寺政職、故ありて御著の城を退出し浪人となりて卒す、其子氏職, 榮の基ならん、凡天道の善に福し惡に〓し給ふ、善惡の報應ある事是を以て知へし、積, 備後の鞆に流浪せしを、職隆・孝高是をいたはしくおもひ、秀吉に乞て彼か過を御宥め, 善の家には餘慶ありと、聖人の易に説たまへるもかゝる事なるへし、其人となり温和に, く勇名あり、天正十三年八月廿二日に卒せらる、行年六十二歳、姫路の心光寺に葬る、, 寄らる、其時職隆の子をこと〳〵く迎に出し、最懇にもてなして養育せられける、是を, 見聞人職隆の恩義の厚き事を感す、其天性仁愛の深き事皆此類なり、是すなはち子孫繁, 江源武鑑に曰、元龜元年十月廿六日、江州の屋形佐々木義秀と織田信長と戰に及ひー, 子ヲ養フ, 小寺政職ノ, 秀吉ノ信任, 二五六, 天正十三年八月二十二日
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- 子ヲ養フ
- 小寺政職ノ
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- 二五六
- 天正十三年八月二十二日
注記 (19)
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