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けは、避けて職隆を携へ、播磨國飾東郡姫路に移り、赤松家に寄りて、永祿七年二月六, 家盛ふへきに、侫人の言に惑ひ、職隆を疎んして其父子の諫に逆ひ、織田家に背き、終, 心を用ひ、戰陣に臨みて剛を拉き強を破り、其勇名世に高けれとも、平生は柔和にして, 人を殺すことを惡み、小事といへとも其理非を辨へ正し、自ら誠實なれは、士に虚言は, なきものと思定めけれは、人に欺れ、彼か爲すまゝに隨ふかと思へは、理を見ては、縱, 小家に隨ひ、其功業顯れさるを惜めり、政職も職隆父子の言を用ひなは、國主ともなり, に累代の領地を失ひ流浪して死し、其子藤兵衞氏職、漂泊して備後の鞆にそ蟄居しける、, 職隆父子秀吉に、先年小寺加賀守、毛利に與せしは不明のなす處也、今其子落ふれたる, ひ頭を微塵にせらるとも肯ふことなし、知人は、職隆所を得は天下の政をも執へきに、, 樣を聞に忍ひす候へは、あはれ某共か勤勞を捨給はすして、彼を某か領地に置て養ふ」, 日、五十七歳にして身まかりぬ、, 歳六十二なり、職隆人となり謙遜正直にして仁愛厚く、累代弓矢の業を繼て武事に深く, とを許し給へと乞ひけれは、承引せらる、即衣笠景延を遣して氏職を迎へて、姫路に近, 其領地を加へられ、家門繁榮の基開くるを見て、天正十三年乙酉八月廿二日身まかりぬ、, 職隆是より前孝高に家を讓りしか、, ○中略、小寺政職・黒田, 職隆等ノ事蹟ニカヽル、, 天正十三年八月二十二日, 二五八, 天正十三年八月二十二日
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- ○中略、小寺政職・黒田
- 職隆等ノ事蹟ニカヽル、
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- 天正十三年八月二十二日
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- 二五八
- 天正十三年八月二十二日
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