『大日本史料』 11編 18 天正13年8月 p.255

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著せ養ひをかれける、後に羽柴筑前守秀吉姫路に居給ひける時、職隆の天性眞實なる事, 黒田美濃守職隆は重隆の子也、大永四年甲申の歳、備前國邑久郡福岡の城に生る、初の, 之時奉從、天正十三年一月廿二日卒、六十二歳、, 守らしむ、小寺の姓と名乘の一字とを授けられ小寺職隆と稱す、職隆の家初は甚貧しか, 扶養すへしといへるによりて、飢人とも多く來り集りけるに、人毎に食をあたへ衣服を, ん爲、大なる長屋を二作り飢人を多く招き集め、道にて非人に逢へは、汝我か所に來れ, りしか、後大に富り、天性慈愛深くして人を惠み、鰥寡孤獨の窮民の飢寒する者を救は, へ威をふるふ、職隆其旗下に屬して戰功多し、政職其忠義武勇を感し侍遇厚し、明石の, とも境目を爭ひしば〳〵小戰有しに、職隆思慮深く武勇有し故、をのつから其邊の地士, 名兵庫助といふ、幼より父と共に播州姫路に移り住り、此時亂世なりし故、近隣の地士, 西播磨の大家なり、御著の城に居て大勢をしたか, 共、職隆を主君のことく仰き尊んて附屬す、, の息女を養子とし、職隆の妻とす、且兵權を借して姫路の城を, 城主明石備前守正風, 爰に赤松の黨類小寺藤兵衞政職は, 〔黒田家譜〕〇東京大學圖書館所臓職隆, 賀守、, 法名, 後號加, 宗不, 稱ス, 住ス, 御著城主小, 小寺職隆ト, 職隆ノ人ト, 寺政職ニ屬, 播州姫路ニ, ナリ, 事蹟, ス, 天正十三年八月二十二日, 一五五

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  • 賀守、
  • 法名
  • 後號加
  • 宗不

頭注

  • 稱ス
  • 住ス
  • 御著城主小
  • 小寺職隆ト
  • 職隆ノ人ト
  • 寺政職ニ屬
  • 播州姫路ニ
  • ナリ
  • 事蹟

  • 天正十三年八月二十二日

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  • 一五五

注記 (32)

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