『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.355

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ほく討捕、, なく義隆と陶と中よからず、, よりて、陶病ありと稱し、富田の居城へいな、こゝにおひて、豐後の大友へ約, ひければ、究竟の者共手負討死す、しあれとも元就數度返しあはせ、敵をお, 詞のどく、諸勢より引さかり、熊野谷といふ所へ引退く、敵きびしく追した, 耆に告、伯耆聞く、尤しかなべしとこたへて、後ひうりに陶に内通す、こまに, 良遠江守武任といふものあり、陶と中あしき故、常々是を讒し、陶を亡し、を, はじめ陶尾張守條々をもつて諫といへども、義隆用ひず、義隆が近臣に相, が女を養子とし、隆元を聟とす、婚禮相調て後、皆吉田へ歸る、其後又元就父, 子山口へ赴く、義隆が行跡あしくして、陶と君臣の間みだれて、大内家斷絶, り、かれを引とらんがため、種々謀をもつて、終に隆元吉田へ歸る、かくて程, すべしと見、所勞のよしにて、吉田へ歸るときに、隆元人質として山口にあ, のれが威勢をたてんとす、義隆是を信じて、陶を〓すべきとの内談を杉伯, 体をみれば、敗軍の驗あり、しりらばわれしつはらひをすべしとなり、その, そのゝち元就、隆景、元春、山口へ下向す、義隆喜悦斜ならずして、内藤下野守, 大内義隆, トス, 隆元ヲ聟, 元龜二年六月十四日, 三五五

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  • 元龜二年六月十四日

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  • 三五五

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  • 1592,642,56,281ほく討捕、
  • 891,633,56,856なく義隆と陶と中よからず、
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