『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.356

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ひて死す、冷泉判官は、義隆死後迄に敵數十人を切殺し、終に自害す、そのゝ, のをへ退居す、陶是を山口へめしよせ、終に〓せり、, 攻る所に、元就周防の境迄出張すと聞えければ、陶周防長門に殘所の人數, 川大寧寺にて、同年九月朔日巳の刻、義隆切腹す、時に四十五歳、うのとき冷, いふ山へ討上る、時に元就これをみて、陶すくに吉見をほろぼして、此所へ, 十年八月二十八日、石州吉見を頼み、山口をさりて落行所に、陶が兵追懸、深, をもよほし、宮川甲斐守を大將として、藝州廿日市の洞雲寺の上折敷畑と, て、山口へ押寄、義隆驚く、その館より出て、法泉寺へおもむく、數度相戰ふと, 束し、大友宗麟が弟八郎義長を大内の家にすへんといひて、軍勢をひきゐ, 陶又義長を大將とし、長門の境石州吉見の大藏大輔正頼が城へ押寄、是を, ち陶安房守を豐後へ遣し、義長を招きむりへ、大内の家をつづしむ、陶うの, いへとも、日を逐て士卒たほく陶に屬して、義隆が兵すくなし、故に天文二, 泉判官高豐、天野藤内、岡部十郎、八幡大宮司右信、小幡四郎、黒川等力たゝか, 心のまゝに萬事を取おこなふ、相良遠江守は、義隆存生の時より、筑前はな, 來れりとおもひ、是こそ合戰の場なれとて、山々の手あてして、一同に切て, 義隆自殺, 隆ニ背ク, 陶晴賢義, 元就晴賢, ト戰フ, ス, 元龜二年六月十四日, 三五六

頭注

  • 義隆自殺
  • 隆ニ背ク
  • 陶晴賢義
  • 元就晴賢
  • ト戰フ

  • 元龜二年六月十四日

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  • 三五六

注記 (23)

  • 1075,644,64,2180ひて死す、冷泉判官は、義隆死後迄に敵數十人を切殺し、終に自害す、そのゝ
  • 728,643,59,1495のをへ退居す、陶是を山口へめしよせ、終に〓せり、
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