Loading…
要素
頭注ノンブル
OCR テキスト
ひて死す、冷泉判官は、義隆死後迄に敵數十人を切殺し、終に自害す、そのゝ, のをへ退居す、陶是を山口へめしよせ、終に〓せり、, 攻る所に、元就周防の境迄出張すと聞えければ、陶周防長門に殘所の人數, 川大寧寺にて、同年九月朔日巳の刻、義隆切腹す、時に四十五歳、うのとき冷, いふ山へ討上る、時に元就これをみて、陶すくに吉見をほろぼして、此所へ, 十年八月二十八日、石州吉見を頼み、山口をさりて落行所に、陶が兵追懸、深, をもよほし、宮川甲斐守を大將として、藝州廿日市の洞雲寺の上折敷畑と, て、山口へ押寄、義隆驚く、その館より出て、法泉寺へおもむく、數度相戰ふと, 束し、大友宗麟が弟八郎義長を大内の家にすへんといひて、軍勢をひきゐ, 陶又義長を大將とし、長門の境石州吉見の大藏大輔正頼が城へ押寄、是を, ち陶安房守を豐後へ遣し、義長を招きむりへ、大内の家をつづしむ、陶うの, いへとも、日を逐て士卒たほく陶に屬して、義隆が兵すくなし、故に天文二, 泉判官高豐、天野藤内、岡部十郎、八幡大宮司右信、小幡四郎、黒川等力たゝか, 心のまゝに萬事を取おこなふ、相良遠江守は、義隆存生の時より、筑前はな, 來れりとおもひ、是こそ合戰の場なれとて、山々の手あてして、一同に切て, 義隆自殺, 隆ニ背ク, 陶晴賢義, 元就晴賢, ト戰フ, ス, 元龜二年六月十四日, 三五六
頭注
- 義隆自殺
- 隆ニ背ク
- 陶晴賢義
- 元就晴賢
- ト戰フ
- ス
柱
- 元龜二年六月十四日
ノンブル
- 三五六
注記 (23)
- 1075,644,64,2180ひて死す、冷泉判官は、義隆死後迄に敵數十人を切殺し、終に自害す、そのゝ
- 728,643,59,1495のをへ退居す、陶是を山口へめしよせ、終に〓せり、
- 495,638,66,2196攻る所に、元就周防の境迄出張すと聞えければ、陶周防長門に殘所の人數
- 1306,638,65,2193川大寧寺にて、同年九月朔日巳の刻、義隆切腹す、時に四十五歳、うのとき冷
- 263,651,68,2162いふ山へ討上る、時に元就これをみて、陶すくに吉見をほろぼして、此所へ
- 1421,639,65,2189十年八月二十八日、石州吉見を頼み、山口をさりて落行所に、陶が兵追懸、深
- 380,642,64,2191をもよほし、宮川甲斐守を大將として、藝州廿日市の洞雲寺の上折敷畑と
- 1654,639,62,2186て、山口へ押寄、義隆驚く、その館より出て、法泉寺へおもむく、數度相戰ふと
- 1769,641,61,2184束し、大友宗麟が弟八郎義長を大内の家にすへんといひて、軍勢をひきゐ
- 610,641,64,2188陶又義長を大將とし、長門の境石州吉見の大藏大輔正頼が城へ押寄、是を
- 960,640,63,2193ち陶安房守を豐後へ遣し、義長を招きむりへ、大内の家をつづしむ、陶うの
- 1539,648,63,2177いへとも、日を逐て士卒たほく陶に屬して、義隆が兵すくなし、故に天文二
- 1190,644,64,2184泉判官高豐、天野藤内、岡部十郎、八幡大宮司右信、小幡四郎、黒川等力たゝか
- 843,647,64,2188心のまゝに萬事を取おこなふ、相良遠江守は、義隆存生の時より、筑前はな
- 145,649,64,2181來れりとおもひ、是こそ合戰の場なれとて、山々の手あてして、一同に切て
- 1332,285,44,169義隆自殺
- 1639,288,40,161隆ニ背ク
- 1681,289,43,166陶晴賢義
- 521,290,40,166元就晴賢
- 476,293,38,112ト戰フ
- 1296,290,31,30ス
- 1884,717,43,378元龜二年六月十四日
- 1888,2435,42,118三五六







