『日本関係海外史料』 イエズス会日本書翰集 5 訳文編之1(下) 天文19年12月~21年11月 p.105

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ル人達から大いに慰められました。, 山口の大守の家臣である非常に強力な領主(○大内義隆の重臣陶隆房。主君義隆を自殺せしめ, たのち、大友晴英を迎え、晴賢と改む。)〔の叛乱のために、大守が〕山口から逃げ出してしま, 彼の家臣である敵の手中に落ちないために自分が連れていた幼い子供(○義尊。天文十四年(一, ったことです。大守は後に多くの兵士を従えていましたが、逃れることができないと考えて、, 五四五年)義隆の後室小槻氏との間に生まれる。)一人を自らの手で殺して自殺することを決意, 私が豊後に滞在していた時、悪魔は山口において戦闘が起こるように企てました。それは、, しました。このようにして、彼は先ず子息を殺すことを命じ、敵方がやって来た時に何も見つ, の大きな危険については、彼等が私に宛て豊後に送付した書翰数通によって、知ることでしよ, う。それらはこの書翰と一緒に行きます。, た。)。家来達は言われたとおりに実行しました。, パードレ・コスモ・デ・トルレスとジョアン・フェルナンデスがこの戦闘の時に遭遇した数々, 口に残して豊後に来ました。大守は私をたいそう歓待しました。私は同地に来航したポルトガ, は短刀で自害しました(○義隆は長門国大津郡深川-現在の山口県長門市-の大寧寺で切腹し, けることができないように、二人の遺骸を焼いてしまうように家来達に遺言してから、彼自身, (hum punhal), 大内義隆自, 山口出発後, に謀叛起き, ザビエルの, 害す, 一〇六

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  • (hum punhal)

頭注

  • 大内義隆自
  • 山口出発後
  • に謀叛起き
  • ザビエルの
  • 害す

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  • 一〇六

注記 (22)

  • 1659,607,53,822ル人達から大いに慰められました。
  • 1441,596,65,2281山口の大守の家臣である非常に強力な領主(○大内義隆の重臣陶隆房。主君義隆を自殺せしめ
  • 1342,600,63,2280たのち、大友晴英を迎え、晴賢と改む。)〔の叛乱のために、大守が〕山口から逃げ出してしま
  • 1135,594,66,2265彼の家臣である敵の手中に落ちないために自分が連れていた幼い子供(○義尊。天文十四年(一
  • 1240,607,64,2238ったことです。大守は後に多くの兵士を従えていましたが、逃れることができないと考えて、
  • 1034,591,65,2291五四五年)義隆の後室小槻氏との間に生まれる。)一人を自らの手で殺して自殺することを決意
  • 1547,645,63,2201私が豊後に滞在していた時、悪魔は山口において戦闘が起こるように企てました。それは、
  • 930,590,64,2285しました。このようにして、彼は先ず子息を殺すことを命じ、敵方がやって来た時に何も見つ
  • 424,591,64,2276の大きな危険については、彼等が私に宛て豊後に送付した書翰数通によって、知ることでしよ
  • 328,589,56,994う。それらはこの書翰と一緒に行きます。
  • 633,596,57,1152た。)。家来達は言われたとおりに実行しました。
  • 523,650,66,2218パードレ・コスモ・デ・トルレスとジョアン・フェルナンデスがこの戦闘の時に遭遇した数々
  • 1748,607,65,2274口に残して豊後に来ました。大守は私をたいそう歓待しました。私は同地に来航したポルトガ
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