『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.363

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のゝち、件の茶入を大友へ遣す、元就は長門、周防の吏相濟て、備中表へ向ひ, ゝかふ故に、せめ落す〓あたはず、引退とき寄手たほくうち死す、しあれと, も敵を追はらひ、隆元無事に岩國へ歸る、明年二月の末、元就、隆元出張し、す, 福寺まて追懸卷圍み、使者を大友へ遣し、兄弟の事なれば、尤不便なるべし、, 義長をたすけ送らんといふ、大友宗麟返事に、義長づ心得あしき故、近年中, 五郎を〓し、其頸を永興寺へ持參す、大内義長迯ゆくを、元就これを谷の長, 伊香賀左衞門大夫、江良彈正、狩野某、そのほり諸方のもの共楯籠、ふせぎた, よあらず、はやく切腹せしめ〓なべし、瓢箪の茶入小壺りれがもとにあり、, 市より日和へ向ふ、元春は石州小笠原のてあてにむりひ、高見の黒岩づ嵩, 千五百餘人、此威風を聞て、富田の若山にある陶五郎が郎徒心替りして、陶, とやが尾の兩城を取立、隆元はすゝまの城へおしよする所に、此城の加番, ゝまの城を取卷て、急にせめ落す、城中の男女童にいたるまで打〓すもの, 取〓八百餘、其日岩國永興寺の邊まで、元就、隆元軍を取おさむ、元就は廿日, をとな、うのありつき、俄に倉掛の城へおしよせ、杉治部大輔を攻〓し、頸を, をくりたまはらば、〓がふところななべしといふ、これによりて、義長自害, 大内義長, 自殺ス, 元龜二年六月十四日, 三六三

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  • 大内義長
  • 自殺ス

  • 元龜二年六月十四日

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  • 三六三

注記 (19)

  • 251,613,64,2191のゝち、件の茶入を大友へ遣す、元就は長門、周防の吏相濟て、備中表へ向ひ
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