『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.353

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したづふ、, 義隆より加勢として、陶尾張守睛賢人數をひきひ來な、尼子少引のき對陣, 多し、そのゝち數度の合戰に、城兵毎度勝にのる、寄手退屈しける所に、大内, 尼子伊豫守が弟下野守諫くいはく、郡山をせめん事しりなべあらず、只和, 武田討負、元就大利を得て、首數級を討捕、此勢にて諸方の侍おほく元就に, 睦せらなべし、元就は名將なり、なまじゐに取らけくかたずんば、後代迄の, 堂已下あひしたかひゆく、晴久これを聞く、元就の居城郡山をせめんとす、, 恥なるべしといふ、晴久きりずしく、天文九年九月、七万の軍勢をひきひて、, 郡山へ押寄、郡山大山にして七口の道あり、其所にして敵味方たりひに槍, めて安藝國吉田郡山の城に入、, りく、元就と不和にしく、これを討んと企、これによりて、元就則大内義隆と, を合せ、城兵勝利を得く、寄手は山へ引退く、元就自身の働、家子郎等手柄尤, 尼子伊豫守、元就づ智謀を知て懇志を通す、伊豫守が孫晴久づとおにいた, いひ通せんがため、隆元等を山口へ遣す、時に志道上野廣良、興禪寺の龍東, 藝州佐東の武田某、吉田へ働く、これによりく、元就般若谷へ出張し相戰ふ、, 元龜二年六月十四日, 三五三

  • 元龜二年六月十四日

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  • 三五三

注記 (17)

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