『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.371

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に、是も又城をあけ、敵陣へ相くはゝる、富部山中に敵五六千人ばかりあり, えざれば、輝廣手をうしなひ、浦つたひして、浮の山とのみの間の茶臼山へ, して富部へすゝむ、富部の小城に森脇市正籠りければ、取かけんとする所, 五日、輝元、隆景、元春、元清みな出陣す、元就は吉田に留居す、味方多久和の城, ときこゆ、しかれども雪ふらくして行先しれす、物見の者をつかはし、うの, 槍をもつてたゝかひ、終にうの二人をうちとる、このいきほひに乘て、備後, ばかり追討にす、それより輝元三澤鎌倉山へ陣をかへ、直に日田に一夜宿, 神邊の城を取返して一揆をしづむ、霜月廿三日、元就、輝元長府を立、吉田へ, をせめんとせし所に、敵はや城をあけてしりぞく、かるあゆへに七八十人, 兵〓〳〵くこれをうちとる、そのとき木原兵部敵二人にむかひ、たかひに, 上る、元春きびしく追つめまれば、輝廣その勢をみて自害す、あひしたがふ, 天野隆重雲州富田の城に居て、兵粮とほしきよしきこえければ、翌年正月, あいほより白松へゆく、元春直に追て秋穗へむりふ、折節豐後船一艘も見, 中にいたる、輝廣これをきゝて、山口を落てのき、船にのらんとこゝろかけ、, 凱還し、隆景、元春も歸陣す、, 敗死ス, 大内輝弘, 出雲ニ出, 兵ス, 元龜二年六月十四日, 三七一

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  • 敗死ス
  • 大内輝弘
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  • 兵ス

  • 元龜二年六月十四日

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  • 三七一

注記 (21)

  • 379,614,70,2181に、是も又城をあけ、敵陣へ相くはゝる、富部山中に敵五六千人ばかりあり
  • 1656,618,68,2176えざれば、輝廣手をうしなひ、浦つたひして、浮の山とのみの間の茶臼山へ
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