『大日本史料』 10編 17 天正元年8月 p.180

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とき信長の士卒屈してたゝかはんとせす、志賀の城に楯籠り、すでにあやうからん, さすこと〳〵くうち捕、堺右近うち死にす、首數百、信長の陣下にこれをかく、此, ども義景諸勢をつかはし、淺井氏を救て、信長とあひたゝかふ事數度、そのうへ濃, の春、織田信長、淺井備後守を退治のため、しば〳〵江州横山におもむく、しかれ, 十月、義景大軍をおこし、叡山にのぼる、信長大坂より志賀に歸り、城をかまへ、, 近・明智光秀兵士三千人を引ひ、兵船にのり夜中に堅田におもむき、越前の通路を, 衞門督になる、義輝みづから諱の字をかき、判をくはへ、これをたまふ、元龜元年, きらんとす、ときに朝倉式部大輔俄に諸軍をおこし、堅田の城をせめ、一人ももら, 天文二年九月廿四日に誕生、同廿一年六月十六日、義輝の執奏をもつて、命じて左, 勝利を得て、森氏をはじめ數多討捕、堅田の猪飼信長に内應をなす、先鋒の將堺右, 州樽井・赤坂の邊にをひて放火せしむ、これにより淺井が小谷の城恙なし、同三年, 森三左衞門を城守として、坂本に出張す、義景叡山に陣とりてあひたゝかひ、大に, 左衞門督、のち義景にあらたむ、, 延景, のふかげ, 門督ニ任ズ, 天文二年ニ, 義輝ノ執奏, 義輝偏諱ヲ, ニ依リ左衞, 生ル, 與フ, 前名延景, 天正元年八月二十日, 天正元年八月二十日, 一八〇

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  • 延景
  • のふかげ

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  • 門督ニ任ズ
  • 天文二年ニ
  • 義輝ノ執奏
  • 義輝偏諱ヲ
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  • 生ル
  • 與フ
  • 前名延景

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  • 天正元年八月二十日

  • 天正元年八月二十日

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  • 一八〇

注記 (26)

  • 196,772,63,2121とき信長の士卒屈してたゝかはんとせす、志賀の城に楯籠り、すでにあやうからん
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