『大日本史料』 10編 17 天正元年8月 p.181

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守・同子彦四郎をして、信長を守護せしめ、勢田の橋におもむく、そのゝち志賀の, 置、越前にみだれ入、これによりて、義景ふせきたゝかふ事を得す、同年八月廿日、, 淺井が小谷の居城つゝがなし、六月、右府、長政をうたむとして、近江國に出張す、, 援けて右府と相戰ふ事數度、また美濃國樽井・赤坂の邊に放火せしむ、これにより, 要害をやふり、十二月廿八日、義景歸陣、天正元年、信長分國の士卒を引ひ、また, 北郡に發向す、此とき朝倉式部大輔謀叛す、信長兵を分て、小谷の城にをさへ勢を, 字を與へられ、義景となのる、永祿二年十一月九日、從四位下に敍す、元龜元年の, 春、織田右府、淺井長政を攻むとて、しば〳〵近江國横山に發向す、義景、長政を, とするとき、秀吉謀略をもつて、誓書をおくり和をこふ、そのとき義景、魚住備後, 天文二十一年六月十六日、光源院義輝の執奏により、左衞門督となり、義輝より諱, 大野郡堅松寺にをひて自害す、生年四十一, 〔寛政重修諸家譜〕, 義京, 孝京, 孝景-, 六百六十六, 督、從四位下、, 初延景、左衞門, 日下部氏朝倉, 義京, 永祿二年從, セラル, 四位下ニ敍, 天正元年八月二十日, 一八一

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  • 六百六十六
  • 督、從四位下、
  • 初延景、左衞門
  • 日下部氏朝倉
  • 義京

頭注

  • 永祿二年從
  • セラル
  • 四位下ニ敍

  • 天正元年八月二十日

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  • 一八一

注記 (25)

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