『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.372

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高瀬、熊野、高佐四ケ所の城は、なをいまだくだ〓ず、, ひに鐵炮をうり、輝元、隆景、元春、元清是を聞て、兵をひきひ來り、打てかゝる、, 體をうかゝふとき、敵足輕を出し、味方も百人ばかりさきへすゝみこたか, 久に相くはゝる、同日、輝元、富田の成合、伯耆國まて平治すといへとも、新山、, びしくせしゆへに、高瀬、米原降參す、尼子勝久は新山より隱岐國へ落ゆき、, 敵兵はじめはつよくふせくといへとも、四將きひしくせめたゝかひ、殊に, うつり、又鴟の巣の麓林木に陣を取、敵の相殘る城々に付城をこしらへ、輝, 四月十六日、輝元出馬し、其夜牛尾彈正が籠る所へおしよせかこみせむ、彈, 元、隆景、元清歸陣す、元春は神西の小城にて越年し、出雲、伯耆の手つかひき, 正おそれて降をこふところに、城中の小屋に失火ありてやけあがる、うの, を得事三百餘級、時に四月十七日なり、翌十八日、輝元拾藏へ陣を替、大津へ, とき寄手の兵城中にみだれ入ければ、彈正并に其弟の僧西堂みな死す、首, 元清さきにすゝむ、諸勢是によりて、各粉骨をつくす故に、敵敗走す、首をと, る事二百餘級、時に二月十四日なり、鹿之助、源太兵衞等新山へ引のきて、勝, 鹿之助は上方へのがれゆく、これによりて、出雲、伯耆〓〳〵く靜論なり、, 元龜二年六月十四日, 三七二

  • 元龜二年六月十四日

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  • 三七二

注記 (17)

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  • 1677,614,78,2203ひに鐵炮をうり、輝元、隆景、元春、元清是を聞て、兵をひきひ來り、打てかゝる、
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