『大日本史料』 11編 21 天正13年10月1日 p.130

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左右ニ付隨ひ出けれは、左右なく討へきやうもなかりしに、庭上に柴の袖垣有て口狹く, 説に、義繼を此度闇討にすへき沙汰ありけるを、鹿子田和泉守か家人聞出し、主人乙斯, 政宗に屬す、故に義繼も我壹人二本松の城を抱ん事叶間敷と思ひ、八丁目の城ニ有ける, 一騎立の所なれは、政景・成實跡之扣へ輝宗計義繼を送り出られしを、義繼和泉守へ急, と告しかは、和泉守則右京亮義繼に私語けれは、義繼安からぬ事に思ひ、輝宗に對面し其, 座の首尾に依て安否を究めんと思はれけれは、和泉守を始郎從共指心得、坐中に眼をく, 伊逹輝宗の伯父伊達兵部太輔實元は、家臣遊佐下總守か知音成けれは、下總守を以實元, ばりて一烈す、退出の折に望て輝宗送り出けるに、伊達上野介政景・同藤五郎成實二人, 由を約諾有り、同八日の朝義繼、家臣鹿子田和泉守并ニ高林内膳・大槻中務少輔・半澤, 源内・遊佐孫九郎以下、究竟の侍三十三騎を召し具して、輝宗に對面す、然ルに下部の雜, 同七日の晝迄宮森へ宴す、時に藤五郎成實陳中ニ來て、義繼の子息梅王を人質にて出ス, を語らひ、政宗父子に和睦し味方ニ可參由申されけれは、政宗父子喜悦こて、天正十三, 度目配し、某を闇討にせられんとは情なして言さまに、輝宗の胸つくしをかひ握んて引, 年十月六日宮森の城, にて出會有りて、義繼政宗の下知にしたかわん事を約して、, 今小濱之, 館也、, 天正十三年十月八日, 三〇

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  • 今小濱之
  • 館也、

  • 天正十三年十月八日

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  • 三〇

注記 (19)

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