『大日本史料』 11編 21 天正13年10月1日 p.122

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持可申、能々御分別御返事承度、再三委細之御使なりけれは、義繼も御一族新城彈正・, く御申候得と仰ける、暫時誰も詞出さる所に、心安齋・大和其外歴々一同に被申ける, 一、輝宗は義繼へ御別懇なれは、義繼の御身之上を御苦勞に思召て、何卒和談を御入被成, 〔山口道齋物語〕, 宮森ニ御座シ、公ハ小濱御在陣、此日鷹野ニ御出、此事ヲ聞セラレ野ヨリ直ニ追懸ケ、, 同大和を初、其外歴々鹿子田を先として御呼、如此度々輝宗より申越され候、然れ, は、御諚は尤ニ御座候得共、正宗只今米澤より此邊迄二拾里計を明ケのかれ、御譜代, 度とて、義繼へ被仰入けるは、只今の通にては世間廣くも成申まし、正宗方は隨分執, 或ハ膳棚ノ落タルニ騷シキ事等ハ有間敷ニモ非ス、又朽木ト云フ小姓御刀持タルト云, 夜ニ入テ高田原ニ到リ玉フ、事既ニ落居ノ後ナリ、, とも代々相續の家を、今我世に至て伊達へ降るへきも無念なり、所全は伊達の大勢を, 引受合戰し、運盡は腹をきらんより外の事なしと思ふなり、但し各の思寄有は遠慮な, フモ左モ有ルヘシ、公御狩場ヨリ追懸ケ義繼ヲ打果シ玉フ事ハ甚タ誤ナリ、性山公ハ, 衆も大身小身内談は多分伊達へ心を通し申と風聞仕候、其上此方之抱の城々手詰り以, 輝宗義繼ニ, 諮ル, ハ誤ナリ, 降伏ヲ勸ム, 政宗現場ニ, 在リトノ説, 義繼家臣ニ, 天正十三年十月八日, 一二二

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  • 輝宗義繼ニ
  • 諮ル
  • ハ誤ナリ
  • 降伏ヲ勸ム
  • 政宗現場ニ
  • 在リトノ説
  • 義繼家臣ニ

  • 天正十三年十月八日

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  • 一二二

注記 (23)

  • 900,689,72,2190持可申、能々御分別御返事承度、再三委細之御使なりけれは、義繼も御一族新城彈正・
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