『大日本史料』 11編 21 天正13年10月1日 p.128

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〔東奥中村記〕四伊達政宗相馬義胤初而對顔之事, え馳させて、一騎かけに來れといふ、跡をは猿足太郎兵衞とて武功の者下知して退く、然, 追欠れは、輝宗顧視し手を振り進むものを制せらる、猿足太良兵衞跡を下知する處を鐵, 砲にて打倒せは、義繼是を見、遊佐靱負に是迄そと有けれは、靱負輝宗の手を取後より, 體也しか、漸く川近くなれは、討果せと下知仕給ふ、そこにて鐵砲引出し火繩をはさみ, 城内にて其夜新城は、山口猪之丞と云侍と今壹人兩人を被申付、伊達勢いまた陣所に, 居候歟、參て物見仕べきとの事なり、兩人橇を履て栗ケ棚の外まて參りて見候所に、, るに桑折播磨と云者政宗え申けるは、義繼川を越なは何と思召共叶まし、輝宗は遁れ難, 敵壹人も不見皆々小濱へ引退キけるゆへ、早々立歸て新城へ其旨申けれは、城内之面, 々悦申けり、, き御順死なれは悔み給ふへからす、押掛て討果し給へといふ、政宗如何とためらひ給ふ, さし通せは、そこつなりとて終り給ふ、義繼我をも介錯せよと有けれは、則刺通し首を, は半澤源内月劍、遊佐孫九郎弓持たり、其外は拔刀也、義繼の乘馬に中間を乘せ二本松, 義繼は二本松の川近く高田といふ處迄退く、道具持たる者に, 天正十三年十月八日, 附輝宗生害二, 本松落城之事, ニカヽル、諸書ニ大略異事ナシ、, ○上略、義繼、輝宗ヲ捕フルコト, 指揮ス, 衞畠山勢ヲ, 遊佐靱負輝, 猿足太郎兵, 山口猪之丞, 宗ヲ刺ス, 敵情ヲ探ル, 天正十三年十月八日, 一二八

割注

  • 附輝宗生害二
  • 本松落城之事
  • ニカヽル、諸書ニ大略異事ナシ、
  • ○上略、義繼、輝宗ヲ捕フルコト

頭注

  • 指揮ス
  • 衞畠山勢ヲ
  • 遊佐靱負輝
  • 猿足太郎兵
  • 山口猪之丞
  • 宗ヲ刺ス
  • 敵情ヲ探ル

  • 天正十三年十月八日

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  • 一二八

注記 (28)

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