『大日本史料』 11編 22 天正13年11月21日 p.29

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旗を出し再拜するに、祥瑞なしと云事なし、新庄尾張本丸え登り此御旗を出し再拜すれ, 入龜谷を取卷、伊達安房成實は城の丑寅の口より攻かゝる、田村清顯は西谷口え廻り龍, 泉寺前迄攻入る、爰に二本松の先祖天子より給る錦の御旗を相傳す、難義に及ふ時は此, 〓東奥中村記〕四伊達政宗相馬義胤初而對顏之事, を待給ふ、政宗も十四日に出張、城の辰巳の方の高き山八幡平, 引不申、捨て退申候故に、城より出首を取裸に致し候なり、, 攻寄せず、かくて翌立十五日、片倉小十郎景綱を先かけにて押寄せ、追手栗ケ迫より池の, ふ、田村清顯も出馬有、菅田に陣し給ふ、伊達安房成實澁川に陣しけれ共、日暮けれは, は、雪ちら〳〵と降出たり、政宗もみ立攻られけれ共、堅固に城を持固メ、大木共を切, 申候、一代之内に二度小口を〓れ迷惑したりと猪之丞語りける、伊達勢死人味方えも, 呼給ひ、同十四日堂場より直くに二本松え出張、菅田川を越陣を居へ、政宗よりの左右, 者を以、輝宗の弔合戰有へしとて御加勢を請ひ給ひけれは、則承諾有、相馬より人數を, に鑓持か味方を招キ申候故、門内より錠を明内に入なり、其時猪之丞も生たる心地出, といふ處に陣取給, 其頃義胤は三春の堂場に在ましけるに、八日の夜政宗より使, 附輝宗生害二, ニカヽル、十月八日ノ條ニ收ム、, ○上略、二本松城内ノ配備ノコト, 本松落城之事, 今愛宕, ト云、, テ出陣ス, 宗ニ呼應シ, 相馬義胤政, 天正十三年十月十五日, 二九

割注

  • 附輝宗生害二
  • ニカヽル、十月八日ノ條ニ收ム、
  • ○上略、二本松城内ノ配備ノコト
  • 本松落城之事
  • 今愛宕
  • ト云、

頭注

  • テ出陣ス
  • 宗ニ呼應シ
  • 相馬義胤政

  • 天正十三年十月十五日

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  • 二九

注記 (26)

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