『大日本史料』 11編 21 天正13年10月1日 p.132

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風聞のことく二本松殿を闇打にせん支度の事を推し、主人和泉守に告けるとなり、, 江越中守・氏家新兵衞尉・箕輪玄蕃允等都合貳千餘にて、二本松霞か城に籠城す、政宗, 者なれは殉死す、, は輝宗の遺骸を小濱へ昇送り、早速米澤長井の庄資移寺にて葬禮を執行し給ふ、輝宗今, 降參にても無之、下部の雜説之依て俄に思ひ立れたるにもあらさるへし、, 城彈正少弼後見として、鹿子田和泉守か嫡子右衞門佐を始、遊佐丹波守・同下總守・堀, 又里老傳に、義繼宮森へ來られし時、小濱入口にて跡に乘れる和泉守に、やつと言へと, 言葉をかけられしかは、和泉守馬上乙而心得しとそこたへける、其時代死すと言事をや, つと言へと俗語にて申けると、然らは義繼兼而覺悟にて斯はせられしなるへし、眞實の, 斯て義繼の子息九郎義綱、其頃は梅王とて十三才ニ成れしを大將之取立、義繼の從弟新, 年四拾貳歳也、覺範寺殿性山受心と號、家臣遠藤山城守・同馬場七右衞門尉、輝宗恩顧, ○以下、輝宗ノコトニカヽル、, 〔寛政重修諸家譜〕, 伊達, ニカヽル、十月十五日ノ條ニ收ム、, ○下略、政宗、二本松城ヲ攻ムルコト, 七百六, 十二, 略, ○中, 決セシモノ, ハ俄ニ意ヲ, 義繼ノ擧動, ニアラズ, 天正十三年十月八日, 一三二

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  • ニカヽル、十月十五日ノ條ニ收ム、
  • ○下略、政宗、二本松城ヲ攻ムルコト
  • 七百六
  • 十二
  • ○中

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  • 決セシモノ
  • ハ俄ニ意ヲ
  • 義繼ノ擧動
  • ニアラズ

  • 天正十三年十月八日

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  • 一三二

注記 (26)

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