『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.42

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瀬、米原を放火し、富田城可攻と評定す、久綱思慮し、富田城は元就の勢五, ル、在々の者共、目出度と日々來集り、勝久の勢一萬騎に及、三澤、三刀屋、高, 々九州へ急を告遣す、三澤左京、三刀屋彈正、米原平内兵衞、高瀬備前、富田, 籠り居る尼子の舊士、日々に降參し來る、城内に方々より集勢落散、或は, 城爲守護馳歸る、歸宿の翌日、四人共に立原に案内し、勝久へ降參す、城に, 居る三澤、三刀屋、高瀬、米原、豐前ゟ可歸宿、四人に親しきかた〳〵より、信, 孫三郎か計により、疑心出來し、悉歸帆する、判官千餘騎を率し、隱州へ渡, 諸縁勝久へ參る、戰すして城をとるへきと、富田の通路を猶警固す、, 千餘騎にて守護す、早速攻落難し、日を經は歸服者共可退屈、先味方に不, 隨所々を悉燒拂、富田の通路を堅警固し、勝久の威を振はゝ、元就に屬し, を通せは、富田城に籠居る尼子の舊士も、連々降參すへしと云、一統に此, 海す、尼子勢俄事也、船はなし、可討留樣なし、久綱舟五艘に士百六七拾人, 義に同し、味方こ不隨所々悉放火し、富田の通路をとゝむ、四人宿より日, の馳集り、意宇郡重山に勝久を守護す、隱岐判官一千餘騎にて渡海し來, 一隱岐判官企逆心、海上の難を思慮し、丹後、但馬の者共を僞謀る、南浦海賊, 永祿十二年七月三日, 等田城, ノ通路ヲ, 三澤爲清, 塞グ, 等ノ諸將, 勝久ニ降, 叛ク, 立原久綱, 隱岐孫三, ルトノ説, 郎勝久ニ, 四二

頭注

  • 等田城
  • ノ通路ヲ
  • 三澤爲清
  • 塞グ
  • 等ノ諸將
  • 勝久ニ降
  • 叛ク
  • 立原久綱
  • 隱岐孫三
  • ルトノ説
  • 郎勝久ニ

ノンブル

  • 四二

注記 (28)

  • 1590,727,61,2120瀬、米原を放火し、富田城可攻と評定す、久綱思慮し、富田城は元就の勢五
  • 1704,736,60,2114ル、在々の者共、目出度と日々來集り、勝久の勢一萬騎に及、三澤、三刀屋、高
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