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さりしかは、吉政、水手郭より金掘を城中に入て放火せしかは、城つゐに, 捕ふへきむね御書をたまふ、これにより家臣等に下知して、三成か所在, おちゐる、二十二日吉政か手にて、敵兵中島宗左衞門某父子を生捕しこ, とを賞せられ、三成は越前をさして落行ときこしめさる、すみやかに召, 三十二萬五千石をたまはりて、柳川城に住す、, のありしかは、すなはちこれを生捕て、大津の御陣營に獻す、この年闕國, をりつちて、諸將の功を賞せらる、吉政も岡崎西尾をあらため、筑後一國, にもてなしてふし居たり、男吉次か先手田中傳左衞門正武、あやしみて, 伏見の旅亭にをいて卒す、年六十二、崇巖道越圓光院と號す、京師黒谷に, これを問ふ、三成樵夫のよしを答ふ、しかれとも、その面をよくしれるも, のち侍從にすゝみ、筑後守に改む、十四年二月十八日、江戸に參るのとき、, をさかしもとめしむ、二十三日、三成近江國の草野に身を隱し、樵夫の體, このとき從四位下に昇る、六年三月はしめて入國のいとまをたまひ、, 藤堂等の諸將とおなしく、佐和山城をせむといへとも、城堅固にして落, 慶長十四年二月十八日, これ政諧つ呈譜をもつて, 記すところなり、慶長分限, 帳は、久留米城主三十一萬二千石に作り、貞享の呈譜には、三十三萬五千, 石とす、按するに、貞享の譜は、三男久兵衞吉興ム領地を并せしるせしも, 歟, の, ノ營ニ送, 三成ヲ家, 康ノ大津, ヲ陷イル, 佐和山城, 七九
割注
- これ政諧つ呈譜をもつて
- 記すところなり、慶長分限
- 帳は、久留米城主三十一萬二千石に作り、貞享の呈譜には、三十三萬五千
- 石とす、按するに、貞享の譜は、三男久兵衞吉興ム領地を并せしるせしも
- 歟
- の
頭注
- ノ營ニ送
- 三成ヲ家
- 康ノ大津
- ヲ陷イル
- 佐和山城
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- 七九
注記 (27)
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