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岡崎を出奔し、大坂にいたりて太閤につかふ、, しかたし、其望にまかせ、早く和議を許容したまひて、萬歳の謀をなしたまふへしとな, 守り、六月、前田甚七郎長種か前田の城をせめ、城兵降をこふて引しりそく、のち太閤, を領して、諸將おほく其下風にたつ、今御麾下の士、彼に比すれは其なかはにもたらす、, 越前中納言秀康卿大坂に至らせたまふ、數正したかひたてまつり、男康長等を彼地にと, り、東照宮御氣色よからす、我寡兵なりといへとも、何そ大兵を畏れむやとて、其使者, に御答なかりしかは、其のちしは〳〵使者をもつて和をこふにより、遂に御許容ありて、, ゝめて仕へしむ、十三年十一月、數正かつてより岡崎の留守たるのところ、ゆへありて, 月、長久手合戰のときは、仰によりて酒井忠次・本多忠勝とゝもに、小。牧山の御陣營を, 大坂にかへり、羽柴下總守雄利及ひ富田左近將監知信・津田隼人正某を使として和議を, かつ北に上杉あり、東に北條あり、三方の敵を受は、たとひ一旦利を得るとも、永く敵, こふ、東照宮諸臣を集めてこのことを議せらる、數正すゝみ出ていはく、秀吉天下の半, 永祿十二年、山城國綴喜郡宇治田原に生る、のち質となりて岡崎にいたる、天正十三年, 〔寛政重修諸家譜〕, 小笠原秀政, 十八, 百八, 秀吉トノ和, ヲ説ク, 岡崎ニ質ト, 小笠原秀政, ナル, 天正十三年十一月十三日, 一四二
割注
- 十八
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- 秀吉トノ和
- ヲ説ク
- 岡崎ニ質ト
- 小笠原秀政
- ナル
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- 天正十三年十一月十三日
ノンブル
- 一四二
注記 (24)
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