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後九右衞門と云, 梓なり、懷橘談は、承應二年の記なれば、萬治より七八年前に、山三郎といひ, 行きしなり, 山三郎浪人の後、出雲神子くにと云女を具し、, 守源忠政, たれば、後とはいひがたし、されども、東海道名所記の撰者了意は、當時世上, の流行、何くれと心をいれて知れるものと見ゆれば、餘の人のいへる處と, 三は尾州古渡の人なり、又一條に記して云、那古屋因幡守敦領か子山三郎、, 八幡にて女歌舞伎をなす、其後八坂にて、淀殿とも惡名の沙汰有と云々、(葭, はあらじ、又後に聞ひがめてといへるも非なり、東海道名所記は、萬治の刻, 異なるも、據どころ有にこに、鹽尻に云、森家の系譜をみしに、右中將兼武藏, あらず、芝居は、竹かこひむしろ張などにて、しばらく興行しては、又他所に, 棟仁太夫と云ものゝ由緒書には、禁庭北面の侍にて、名護屋山三郎といへ, も夫といはむはいかがなり、これは遊蕩の意にて、まことの遊女といふに, 妹と記せり、山, 見聞集に遊女とかきたればなり、されどまことの遊女にもあらず、幾たり, の子、侍從忠廣、母は名古屋山三, 遊女, るは、土佐淨るりに、禁中北面の侍、名ごや三郎左衞門か一子云々いへるに, なるよしとは、, 母織田刑部, 名古屋新藏人, 集等ヲ引用セルトコロ、スベテ中略ス, ○以下、上ニ掲ゲタル懷橘談、野槌、骨董, 大輔の女、, 高信の子なり, 可成, 五男, ○國, ノ状, 芝居興行, 骨董集ノ, 説ヲ駁ス, 慶長八年四月是月, 二七六
割注
- 母織田刑部
- 名古屋新藏人
- 集等ヲ引用セルトコロ、スベテ中略ス
- ○以下、上ニ掲ゲタル懷橘談、野槌、骨董
- 大輔の女、
- 高信の子なり
- 可成
- 五男
- ○國
頭注
- ノ状
- 芝居興行
- 骨董集ノ
- 説ヲ駁ス
柱
- 慶長八年四月是月
ノンブル
- 二七六
注記 (35)
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