『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.685

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勢ヲ考ルニ、當時茶毘セシ所ニ葬リシヤウニ見ユ, 露レタリ、, ちんにて、二こんらる、御ねりこ、御くしへつけさせらるゝ、女御の御かたよ, ○政仁親王、後陽成帝第三ノ皇子ニシテ、三宮ト稱セラレ給フト雖ド, 所よりさけらる、, 十一日、年十九ニシテ當城ニ卒ス、南西郷中ニ其墳墓アリ、俚俗呼テ遠江塚, 一日、釋氏立之ト刻セリ、定吉ハ隱岐守定勝ノ長子ニシテ、慶長八年十一月, り、三色三からる、かへしにておとこたちしこうあり、く御らる、女ゐんの御, ト云、塚上ニ五輪塔アリ、梵文ノミ存セリ、塚ノ前後ニ古松樹多クアリ、其地, 此寺ノ石塔ハ、, キコユ、別ニ肖像ヲ藏ス、當時ノ畫ト見ヘテ、其相尋常ナラス、勇猛ノ氣自ラ, あり、御ふく一かさね、御しらからる、御さか月、御こふあわ、ニいたゝきのか, 卒後十九年ニ建タルモノナリ、里人ノ傳ヘニテハ、良死ニモアラヌヤウニ, 皇子七宮、御髮置ノ儀アリ、, 墓表アリ、爲自照院殿前遠州大守甲天英額大居士也、于時元和七年七月十, 十二日, 十一月十二日、はるゝ、三の宮の御かた、御くしをき, 慶長八年十一月十二日, 〔御湯殿上日記〕, 〔御湯殿上日記〕六十十一月十二日、はるゝ、三の宮の御かた、御くしをき, 南西郷ノ, 條ニミユ, 六十, 甲, 子, 三宮七宮, 御くしお, ノ辯, き, 六八五

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  • 南西郷ノ
  • 條ニミユ
  • 六十

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  • 三宮七宮
  • 御くしお
  • ノ辯

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  • 六八五

注記 (30)

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