『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.940

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恩命ありといへとも、數度の戰に、數多のルをかうふり、勤仕なりかたしと, を率ゐて甲府に赴き、岡部次郎右衞門正綱、平岩七之助親吉等と相議し、そ, からふへきむね仰下さる、その後關東御入國のとき、釆地をたまはるへき, め、濱松城に歸りたまふのゝち、十一年正月十三日、また御書をたまひ、從兵, 府にうつり、信濃國の調略をなすへきむね仰をかうふる、程なく甲斐國に, の指揮にしたかひ、河口、河尻の地、あるひは、新府にうつり、時宜に應して、は, て、辭したてまつりしかは、諸役をゆるされ、上總國周准郡のうちにをいて, いらせたまふにより、まみへたてまつり、すてにして彼國の制法をあらた, 百五十石をたまひ、居宅の地に宛らる、慶長三年彼地にをいて死す、年五十、, 内たるのうへは、本多豐後守廣孝、大久保七郎右衞門忠世等とはかりて、新, ○穗坂ハ、寛永諸家系圖傳、寛, 政重修諸家譜、並ニ所載ナシ、, 慶長九年正月是月, 九四〇

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  • ○穗坂ハ、寛永諸家系圖傳、寛
  • 政重修諸家譜、並ニ所載ナシ、

  • 慶長九年正月是月

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  • 九四〇

注記 (14)

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